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ブックマーク / king-biscuit.hatenadiary.com (7)

  • 「リベラル」無惨 - king-biscuit NOTES

    「なんだ古谷か」で済むコラムですけど、麻生政権頃の「ネトウヨの言う事はだいたいおかしい」時代から、「リベラルと名の付く連中はだいたいおかしい」に至るまで思えば遠くに来たもんだ感が。https://t.co/ce1uk29Uai— bibibi (@burubur56030897) 2019年9月21日 古谷ってぇとあれかい、ツネヒラかい、とおもたら違った。こっちだ。「パブリック・ソシオロジー」のねえちゃんだ。 news.yahoo.co.jp まあ、近年「社会学」の看板を毀損しまくっとるアレな界隈のおひとりということで。 にしても、まあ、どうしてこういう人がたが揃いも揃って「リベラル」を標榜しとらすんだろう、というのは素朴にギモンではある。てか、ウソでもそれなりの学問的背景なり何なりをほのめかしてものを言うたり書いたりしとらす以上、その「リベラル」の内実についてもまたそれなりの見識があって

    「リベラル」無惨 - king-biscuit NOTES
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2021/09/08
    「リベラルってはさあ、「知的で穏健でユーモアもわかり、さらに何より大事なポイントとして寛容」ぐらいのブランドイメージがあった筈なんですよ。それが今じゃ」そうね。わちきはオールド・リベラリストでいたい
  • 「なつかしさ」と文化史のための記録や資料 - king-biscuit NOTES

    「なつかしさ」とは別なモードになって初めて、文化史や風俗史は成り立つものかも知れない。逆に、「なつかしさ」を駆動させておかない・おけないジャンルだと、資料が失われやすいのかも知れず。このへんパラドキシカルに思えるかも知れないが、案外見逃されているポイントかも。 「なつかしさ」が素直に同時代の気分として稼動している間は、直近の記録が残されやすいのに対して、それが一定の期間を過ぎ、「なつかしさ」を親身に覚える世代が世の中から退場し始めるようになると、それに比例して残される記録のタイプも変わり、またそれら記録に対する意識の仕方も変わってくるような。このへん、「現代史」というもの言いに関連してこれまでもあれこれ議論が繰返されてきたあたりのこととも関連するかと。「歴史」はどこから始まるのか、またあるいは、どこまでが「現在」でそこに「歴史」はどのように介在し得るのか、とか。 「歴史」のための資料、記録

    「なつかしさ」と文化史のための記録や資料 - king-biscuit NOTES
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2021/04/18
    生活やルーチンワーク、とくに当たり前すぎることを同時代に記述することはとても困難。だから「なつかしさ」が駆動される3,40年後の回想で記述されるものをうまく掬いたいもの。
  • 「科学的」な歴史学、とは?・メモ - king-biscuit NOTES

    *1 私見ですが、 「学問」にもいくつか種類があって、 自然科学のように「正解」がすでに決まっている(存在している)類のものと、 数学のように設定された枠の中で辻褄が合うならあらゆる可能性を認めて探っていく類のものと、 哲学や文学のように人間の知性で「決める」類のものがあると思います。— さときち (@sato_sato_kichi) 2019年4月1日 件のやりとりもそうですが、どうも自然科学的なやり方こそが「科学的」だと思っている人達と、その自然科学ですら「同一のデータから(研究者の人生経験や経験に関わらず)同一の結論が導かれるのが科学」なんて思っていない…ということが分かってない人達がいるみたいですね。 歴史学に関して言えば、あれも「過去のある時間にすでに(実際に)起こったこと」を探るという意味では自然科学に近いと思いますが、過去のあらゆる事象が記録されているわけではないので、進化学

    「科学的」な歴史学、とは?・メモ - king-biscuit NOTES
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2021/03/08
    「「ああ、あるあるそれ」的な共感と共に参加できる、そんなガクモンなり〈知〉のありようを夢想してガチに運動仕掛けてみた人〜たとえば柳田國男だったりしたはず、なんだが、な(´-ω-`)」さうね(σ ・∀・)
  • 「読む」ことの現在 - king-biscuit NOTES

    わかるわ〜私はかなり読んでた方だと思うが、Twitter追ってリンク先の記事やらブログやらを読む、と言う悪習(と敢えて言う)を一日何時間か5年ほど続けた結果、一冊のを読み通すのが前に比べ激しくツライ。まして最初からそうな人々にしてみたら。(続く) https://t.co/kbuL3bKc36— Mami Matsuda (@iloveferry) October 17, 2019 電子出版業界では、だから(売るためには)コンテンツのマイクロ化だ、とかなる訳だけど、そんなこと言ってる場合なのかな?いや、別に一冊の読み通せなくてもそれなりの知識が得られてそれなりの教養が構築されるのかな? 文字や活字を「読む」ということが、一定の集中と意識の意図的な制約によって、文脈や脈絡といったある種直線的な流れを仮構的に作り出してゆくことだった時代が、もしかしたらもう少しずつ別のものに移り変わりつつ

    「読む」ことの現在 - king-biscuit NOTES
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2020/12/10
    柳田の国ちゃんが、明治になってから、アタマのいい人たちがみな、ヴィヴェイシャスな、おかしな人たちになりがちだ、と指摘していると森さんに聞いたのは何年前だったかしら(゜~゜)読書、参照の歴史でもある。
  • 「学問」を成り立たせていた「戦後/昭和後期」の情報環境、のこと - king-biscuit NOTES

    *1 「学問」もまた、その時代の情報環境の内側でしか成り立たない、そういう面が否応なくあるらしいことを、ここにきて強く感じています、これまで以上に切実に、かつのっぴきならない同時代的問いとして。*2 とは言え、ひとまず文科系、いわゆる人文社会系と言い換えてもいいでしょうが、そういう分野のこと。さらに言うまでもなく、日語を母語とする環境において成り立ってきていたそのような分野、ということも、また含んでいます。つまり、日語を介して行なわれるそのような文科系の「学問」のなりたちについて、ということになります。 ざっくりとした見取り図だけでも先廻りして提示しておくならば、それら人文系の「学問」は、巷間思われていたような、あるいは当の「学問」世間の当事者として自他共に任じてきた人がたの了見の間尺で自明にそういうことになってきていたような、そんなある種の普遍、それこそ時と場合によっては「科学」とま

    「学問」を成り立たせていた「戦後/昭和後期」の情報環境、のこと - king-biscuit NOTES
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2020/06/07
    「一般書籍市場の、かつて「人文書」と呼ばれていたようなジャンルを中心とした本と活字の読み手らの「教養」と併せ技で支えられ」日本語の人文社会系学界はそれ自体で自立していたのではなかった…(゜~゜ )
  • 「玩物喪志」とおたくの初志 - king-biscuit NOTES

    *1 デジタルコンテンツと化した「情報」のアーカイブの存在があたりまえの前提になっている昨今の「おたく」というのは、すでにかつてのおたくじゃないような気がする。いや、別に根拠とかリクツとかじゃなく、素朴な体感直観印象として。やレコードやCDをブツとして集めて貯め込むこと、と、いまどきみたいにクラウド環境にデジタイズされ「情報≒データ」化された文字や音楽や映像が集積されているところにモバイルも含めた端末介して四六時中アクセスできること、とは質的に違うところあるんじゃないか。 じゃあ、図書館みたいに一定の「公的」「一般的」な基準で分類排列されとる書棚にも同じような感覚持つかっていうとそれもまた少し違うような。「自分」の分類排列基準で、というのがかなり重要なポイントだったりするかも知れんわけで。そのわがままを貫徹できる「量」の限界も当然あるんだが、でもそういう限界も含めて、おたく的玩物喪志の

    「玩物喪志」とおたくの初志 - king-biscuit NOTES
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/07/04
    これはオモシロ(゚∀゚ )「書架の書棚に具体的な背表紙がずらり連なるそのありさまを日々眺めていた、その経験の積み重ねの中に宿る何ものか、ってのも」 内田魯庵だったっけか本棚に検索性があると言ったのは
  • 「よく調べてある」ことの現在・メモ - king-biscuit NOTES

    *1 『オカルト番組はなぜ消えたのか』(青弓社)。小難しい書き方をされている文章を頭の中で変換したり、読み返して咀嚼しなきゃならないのでほんとに疲れます。内容は、よく調べてあると思うところもありますが、自説に合わない事例を無視して論を進めているところが散見されるので大変モヤモヤします。— 城達也 (@honjo_tatsuya) 2019年1月31日 これ、とても大事な感覚であり違和感。単にその書き手の資質やスタイルというだけでなく、いろいろ根の深い問題を垣間見せてくれる糸口となる表明だと思う。 個人的な違和感不信感でしかないっちゃないんだが、ただ、前々から言うとる「情報」化「コンテンツ」化や、それらを前提にしたいまどきのしらべもの (「調査」「研究」の類でも別にいいけど) に特徴的になっている「スキャン」的、2次元的平面的検索の視線など、近年の情報環境の変貌とそこに宿る〈知〉のありよう

    「よく調べてある」ことの現在・メモ - king-biscuit NOTES
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/03/04
    「自分との関係において初めてその資料は意味を持つようになる、という感覚の後退」
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