ブックマーク / manaasami.hatenablog.com (18)

  • 義両親とデイケア - いつか愛せる

    義母が退院後に買った介護用品はと杖。転びにくくて脱ぎ履きが楽な介護シューズ。 紐つきは絶対ダメ。とにかく足がスッと入って即歩ける状態になるもの。前面をマジックテープで開け閉めするタイプが多い。ゴムで前面が伸び縮みするのもいいかと思ったら、義母の指の力ではゴムに勝てない。 介護用品専門の業者さんは電話1で来てくれるしアフターケアも良いが、製品は高い。は7~8千円だったかな。今は似たようなマジックテープ付きのが、普通の通販で3千円台であった。 義母は退院時に尿カテーテルは外すことができたが、自力の入浴は無理。週に2回のデイケアに通うことになり、リハビリだけでなく入浴もまかせた。タオルと着替えを持っていく必要があるが、車で送り迎えしてくれるので楽だ。 私はデイケアとデイサービスの違いをこのときに知った。似てはいるが、デイケアには医師がいてリハビリを行ってくれる。どちらが合っているかはケア

    義両親とデイケア - いつか愛せる
  • 絵のこだわり - いつか愛せる

    今週のお題「わたしは○○ナー」 また今週のお題に乗るとは、はてなに馴染んできた。「わたしは○○ナー」と考えても結婚してから無趣味だし。ベルサイユのばらマニアはどう名乗ればいいのか。 「わたしはベルばらー」、華麗さや洗練の欠片もなくて池田理代子先生に申し訳ないな。 今回は絵の話をする。漫画の絵はすごく大切な要素でベルばらの絵は大好きだ。子どものころよく真似したというより写した。レポート用紙は少し透けるので、載せて輪郭をとり詳細は見ながら描き込んだ。 オスカルの絵は何度描いたかわからない。あの美しいラインは身に付かなかったが、髪型も軍服も形は覚えていてギャグっぽくなら今でもソラで描ける。 作者が連載中に絵の勉強をしたため、途中で絵柄が変化した話は有名。おとなになってから読み直すとそれがどの辺だったかわかる。「あ、迷いながら描いたのはきっとこの辺だ」と。その後どんどん洗練されていき、私はベルばら

    絵のこだわり - いつか愛せる
  • カバンの中身 - いつか愛せる

    初めて今週のお題にのってみる。小学校から高校までの自分のカバンの中身を思い出した。 真面目+ずぼら=私なので、忘れ物をしないよう何でも入れっ放し。 教科書とノートとペンケースはもちろんあるが、たまにしか使わない色鉛筆、コンパス、定規と分度器など。英和辞典も入っていたかな? 当然、私のカバンは重い。でも体力あったから気にならず。 時々汚れた上履きや体育館履き(←これは高校のみ)を持ち帰らなくてはならない。 体操着袋はあっても袋は持っていないし、買ってもらうという発想がなかったので、教科書とカバンのふたのすき間に上履きを入れて(不衛生!)持ち帰った。 当然、私のカバンは分厚い。 学生カバンをつぶして薄くするのが流行っていて、芯を抜いてペタンコにする子もいたが、真面目な私はどうでも良かった。 カバンのすき間の話から、嫌なことを思い出した。 中学·高校と、殺人的通勤ラッシュの電車で通学していた。

    カバンの中身 - いつか愛せる
  • 感想にお返事をいただいた(その2) - いつか愛せる

    無駄な努力をやめよう。私は自分の言葉を使わないと書けないし考えることも出来ない。 「当事者は嘘をつく」の中で、著者の小松原さんは「支援者に、当事者の世界を理解させねばならない」から「かれらと同じ知の体系を私も習得」したことを書かれた。気持ちはわかるが真似は出来ない。 私は今後も自分のままで書く。当時の著者と違い支援者とは関わりがないので、論駁する必要がない。それに「わかってほしい」思いは当時の著者と同じだが、もう20年その気持ちを飼い慣らせたので通じない人がいても害をうけない。 sakiya1989さんは、通りすがりの一般人に詰め寄られてご迷惑かなと思ったのに、お付き合いくださって感謝している。 以下は2度目にいただいたリプライ↓への、書きかけのような拙い返信。 sakiya1989.hatenablog.com 〈赦す〉という言葉を私が用いたことに対して、manaasamiさんがどうして

    感想にお返事をいただいた(その2) - いつか愛せる
  • 感想にお返事をいただいた - いつか愛せる

    昨日の「当事者は嘘をつく」の書評への感想に対して、お返事をいただきました。こんなに早く丁寧に考察をいただいて、当にうれしくかつ恐縮しています。 まず、id:sakiya1989さんご自身が「何か違う」と感じて性暴力について学んでいらしたと知りました。そこを叩くようなことをして申し訳ありませんでした。私は脊髄反射的に書いた部分があるのを自覚しながら載せてしまいました。 sakiya1989.hatenablog.com 以下、読ませていただいて考えたこと。 「当事者は嘘をつく」に書かれている性暴力の描写は(意味があってそうなっているのだけれど)、多くの方にとって理解されにくいと納得した。アマゾンや他サイトの書評でも「読む人を選ぶ」と書かれていたのはそういう意味かと。 じゃあ『「暴力」を伴わない「性暴力」って一体何だろう?』とも考える。パッと考えてもすぐには分からない。わからないけれども、

    感想にお返事をいただいた - いつか愛せる
  • 「当事者は嘘をつく」の書評への感想 - いつか愛せる

    先日感想をUPした書籍「当事者は嘘をつく」の書評を見つけた。 当事者は嘘をつく 作者:小松原織香 筑摩書房 Amazon 書き手のid:sakiya1989さんは研究者なのか、私には難しい文章だが興味があるので頑張って読んだ。「当事者は嘘をつく」を取り扱いが非常に難しいだとおっしゃる。 素人にはなおさら難しいはずだが私は類似の問題の当事者に近い人間だ。意見を書かせていただこうと思った。 sakiya1989.hatenablog.co sakiya1989さん(以降”書き手”と記す)の疑問は『著者の経験は当に〈性暴力〉と呼ばれるべきものなのだろうか』というもの。(以降、書き手の文章引用は青文字、小松原さんの書籍の引用は黒の太文字) ご自身もその疑問が「二次加害に該当するかもしれない」と心配される通り、きっと小松原さんはそのことで過去に随分悩まれたろう。(でもとっくに乗り越えられたろうと

    「当事者は嘘をつく」の書評への感想 - いつか愛せる
  • 当事者は嘘をつく_感想 - いつか愛せる

    当事者は嘘をつく 作者:小松原織香 筑摩書房 Amazon 著者の小松原織香さんと私の出会いは20年近く前、私のホームページの掲示板を小松原さんが訪ねてくださったこと。当時の彼女は苦しさ直中の学生さんだった。 その数年後、今度は私が小松原さんを発見した。興味深い記事だらけのブログ「キリンが逆立ちしたピアス」を見て、あの時の人と同一人物では?と感じ「人違いだったら失礼だなあ」と思いながらもメールを出した。やはりご人だとわかりしばらくメールのやり取り。 その後、私はDV問題から離れて早幾年。たまたまネットで小松原さんの著書を知り、驚くやら懐かしいやら、すぐ読んで感想を送付。この度、転載の了承をいただいたのでご紹介。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 自助グループで話を聞くように、小松原さんの語りを自己の経験に重ねて拝読しました。拾いたい言葉が多

    当事者は嘘をつく_感想 - いつか愛せる
  • ベルサイユのばら_エピソード編感想① - いつか愛せる

    13~14巻を買ったついでに、11~12巻を読み返した。一度に感想を書けそうにないので、人物別に書いてみよう。まずはジェローデル。 私は子どものころはジェローデルが嫌いだった。なにしろアンドレを侮辱したし、オスカルに求婚して二人の中を引き裂きかけたからだ。ただオスカルの思いを知って身を引いたことだけが彼の長所に思えた。どこを見ているのかわからない三白眼とワカメのような髪型も、私の好みではなかった。 おとなになって読み返した時、ジェローデルの良さが少しわかった。彼はオスカルが民衆側につき衛兵隊を指揮した時に助けているが、私はその意味がわかっていなかったと。 「御身が血に紅く染まらんよりは よし謀叛人となりて断頭台に立たん 我がシルフィード」というセリフも(記憶だけで書いたので間違えたらすみません)キザなだけではなかった。 民衆側に立つオスカルたちを助けたということは、自分も死刑になる恐れがあ

    ベルサイユのばら_エピソード編感想① - いつか愛せる
  • 義母の退院準備 - いつか愛せる

    リハビリ病院にも3か月しか居られないので、2か月目に入ると退院準備が始まった。退院後の生活プランを考えてくれるのは、病院の相談員(ケアマネージャーとほぼ同様の仕事)。 人が在宅の場合は、地域包括支援センターで紹介されたケアマネがケアプランを立てる。一方、人が入院している場合、大きな病院には相談員がいてその役割をするらしい。退院時には両者が情報の引継ぎもしてくれた。 リハビリ後半は退院後の生活を想定して行われる。そのため夫実家の間取り図を描き、玄関や室内にあるすべての段差が何センチあるかも記入させられた。2階にはもう上がらずに生活すると決めたので、1階部分だけ。それでも段差は意外に多く、図を作るのは大変だった。 例えば人のベッドからトイレまでに3センチの段差があるなら、それを乗り越えられなければならない。トイレまでに5メートルあるなら、最低でも5メートルは自力で歩けなければならない。

    義母の退院準備 - いつか愛せる
  • 共依存対策 - いつか愛せる

    共依存から抜け出すチャレンジは20年前に書籍「いつ愛せる」↓に書いた。 https://www.amazon.co.jp/いつか愛せる―DV-ドメスティック・バイオレンス-共依存からの回復-あさみ-まな/dp/443414975X けれど具体的なことをもう少し書いておきたい。共依存の意味は、今はたくさん情報があり簡単に調べられるので省略する。参考にしていただけると思う経験を書くが、共依存の解釈はあくまでも私個人のもの。 まだまだ暴力に怯えながら回復の努力をしていたころのこと。私は夫の世話を焼きすぎていたので手を離す決意をした。自分のことは自分でしてもらおう。もちろん簡単ではなく、それがまた暴力を引き起こすかも知れない。あるいは夫が気にしなくても、生活上の不都合が起きる可能性は高い。 さらに別の問題もあった。私の行動が当に共依存克服につながるのかわからない。いくらを読んでも日々の生活で起

    共依存対策 - いつか愛せる
  • 義母を待つ義父とノンちゃん - いつか愛せる

    義母がリハビリ病院に入院していた3ヶ月の間に、義父と一緒にお見舞いに行ったのは3~4回だったと思う。もっと頻繁に行ってあげれば良かったかも知れない。でも行っても何か話すでもないし、義父の事や薬の心配もしなくてはならない。病院内にはレストランが無く小さな売店にあるのは菓子パンくらいだった。 ある日、また義父は自転車でお見舞いに行こうとしていた。前の病院に行こうとして大騒ぎになったのは覚えているのだろうか。今度は病院の場所を電話で聞いたそうで、番地をメモした紙を大事そうに持っていた。前以上に遠いし義父がひとりで行くのはあまりに危険。体力的にも無理だ。そんなに義母に会いたいなら会わせてあげるしかないと、急遽予定変更して夫が一緒にタクシーで行くことにした。 理由は忘れたが私は夫の実家で留守番した。探し物か片付け物をしていたか、あるいは愛ノンちゃんをひとり(1匹)にするのが可哀想だったからか。ふ

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  • 力と責任 - いつか愛せる

    私にも誰かを傷つける可能性は常にあるが、夫と私で確実に違う点がある。それは肉体的な攻撃力だ。彼は細身で強そうには見えないが格闘技を好み、詳しい人ならすぐ経験者だとわかる特徴が手足にある。夫がアル中だったころ「悔しかったらお前も鍛えろ」「俺なら絶対相手より強くなろうとする」と言われた。元々の資質と長年の蓄積があるのに、私にどう追い越せというのか。もし格闘技を習って少しだけ力をつければ、喜んで練習相手にされるだろう。私にとってやぶ蛇でしかない。 力は腕力に限らないし生きるのに必須でもない。後に夫が私を認める際に腕力は不要だった。「私はあなたと対等な人間だ」と冷静に主張することを必死に貫いただけなので、攻撃になるような力は使っていない。覚悟を決めて支配されるのをやめた時から、夫にとって私は人間に昇格したと思う。 力の種類にかかわらず、圧倒的に差がある者同士のいさかいは喧嘩ではなく支配と被支配だ。

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  • リハビリ病院での義母 - いつか愛せる

    義母が転院して間も無く桜の季節になった。リハビリ病院のすぐ近くに川沿いの桜並木があり、その年は雨も少なく長期間桜を楽しめた。リハビリ時間に車椅子を押して散歩に連れ出してくれることもある。医師と看護師の他に、作業療法士や理学療法士がいるお陰で「手をかけてくれている」と感じられた。 事と歯磨きや洗顔もリハビリ項目だった。歯ブラシと歯磨き粉は堂前の洗面所に置き、後に数人ずつ行っていたらしい。午前も午後もリハビリのプログラムがある。ストレッチや歩く練習は、広い体育館で行われた。マンツーマンゆえに人数は限られるし、市営病院でも料金はそれなりにかかった。(←高額療養費制度でかなり戻るが、何ヶ月も先になる)でもひどい背だった義母の姿勢が少しずつ良くなっていた。 恐らく義母にとって大変だったのは、精神的な抵抗を克服することだったと思う。ひとつは入浴。車椅子で風呂場まで行き、そこで脱衣させられてタオ

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  • 世界を操る闇の支配者2.0 米露中の覇権バトルと黒幕の正体 - いつか愛せる

    夫が買ったなので、興味はないけど読んでみた。著者はジャーナリストのベンジャミン・フルフォード氏と、人気ユーチューバー「ウマヅラビデオ」の3人組。ほぼ半分ずつの共著で最後には対談もある。 世界を操る 闇の支配者2.0 米露中の覇権バトルと黒幕の正体 作者:ベンジャミン・フルフォード,ウマヅラビデオ 宝島社 Amazon どちらもまったく存じ上げないので、youtubeでウマヅラビデオを検索した。おもに都市伝説や怖い話を取り上げる若者で、動画にはショッキングなタイトルが並ぶ。都市伝説の延長でディープ・ステートに関心を持ったのかな?と想像。 そういう著者なので、スケールは大きいがあまり難しい言葉はなく読みやすい。ただ歴史などはずいぶん勉強しているなという印象。youtube動画のノリにならずリアリティを感じさせてくれるのは、の半分を長年戦い続けてきたジャーリストが書いたからか。 前半は時節柄

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  • 義父の一人暮らしの問題 - いつか愛せる

    義母の入院中、当初は義父と愛ノンちゃんだけの生活。生活の不安はつきないし、火事やカギのかけ忘れなど事故の心配もあった。ただ義父は料理をまったくしないので、火を使われる心配は無いとわかった。(電子レンジも失敗するので夫が密かにコンセントを抜いた) 私がポットにお湯を入れ急須に茶葉を入れ湯呑みを置いて「お茶の用意してありますからご飯のときどうぞ」と声をかけても、翌日もそのままだった。寒い時期で、冷めたお弁当やパンだけでは辛いだろうなと思ったのだが、どうしようもない。 3ヶ月程度かかって要介護の認定をされ、ケアマネージャーが決まった。やっとヘルパーさんに来てもらえる。要介護度によって利用限度は変わるが、1~2割の負担で介護保険の利用ができる。最初は玄関に手すりをつけてもらったと思う。 実はこの辺りから私はあまりに生活が目まぐるしくて、細かいことを覚えていない。とにかく色々なところから電話がある

    義父の一人暮らしの問題 - いつか愛せる
  • 警察に連行されたこと - いつか愛せる

    警察に連れて行かれ事情聴取をうけたことがある。あんな機会はもうない(あってたまるか)と思うので書く。 もう10年以上前に夫と某役所に行ったときのことだ。夫の叔父の住まいが火事になり、一時的に夫の実家に住んだ。様々な手続きが必要だが叔父は体が不自由だったので、委任状を持って夫が行くことになった。まだ義父は働いていたし夫も元気だった。「手続きを手伝ってくれ」と言われ私も同行した。叔父の印鑑証明書を取得する必要があり、夫は自分の免許証を身分証明書として提出した。 しばらくすると確認のため名前を呼ばれた。夫の免許証のちょうど有効期限のあたりの文字がかすれているという。免許証は小銭入れに入れっぱなしだったため、硬貨が当たって削り取られたと思われる。(夫は当時は免許証を雑に扱い、裏にいたずら書きしたこともある) 「何か他に住所と氏名を確認できるものはありませんか? 郵便物でもいいです」 私はちょうど電

    警察に連行されたこと - いつか愛せる
  • クリスチャンとDVと離婚 - いつか愛せる

    私がDVを経ても離婚せず夫婦の再構築をしたため「この人に出来たことが自分には出来ない」と自身を責めてしまう人がいると知った。特にクリスチャンは離婚回避に努めるのでその傾向が強い。 でも声を大にして言いたい。私は優れていないし離婚した人が劣っているのでもない。努力の度合いすら意味があったかどうかわからない。関係の再構築は一方の努力だけでは出来ないものだから。相手にも関係を変える意志と行動がなければ成し得ない。 そして相手の意志を変えることは人と神様以外の誰にも出来ない。こちらに出来るのは精々きっかけを作ること。きっかけのひとつがこちらの変化だったり離れることだったりする。触発されて相手も変わるかも知れないし、変わらないかも知れない。だから私は運が良かっただけ。 掲示板で大勢の当事者とやり取りしていたころ、クリスチャンの当事者とも何人か出会った。彼女たちは当然ながら通っている教会の神父さんや

    クリスチャンとDVと離婚 - いつか愛せる
  • 義母の転院 - いつか愛せる

    入院から1ヶ月を過ぎて義母の具合が少し好転し、1日に1時間程度のリハビリが始まった。脱げにくいサンダルがいるので、オフィス用サンダルを買う。ただこのサンダルはほとんど履いてもらえなかった。指が当たって痛いという。 退院後も含めて義母にはいくつかのサンダルを買ったが、やわらかい素材を選んでもほとんどが「合わない」とのこと。当時は「そんなにこだわるの?」と思ったが、自分もだんだん歳をとってわかった。肉体の柔軟性が失われるから、合わないものが増えるのだと。私も今では楽に歩けるを探すのに苦労している。 このころ義母に「ハサミを借りてきてほしい」と言われ、看護師さんに工作用のハサミを借りて渡した。すると義母は邪魔にならないよう束ねていた自分の髪を、そのままジャキジャキっと切ってしまった。ほとんど洗髪できないので切りたかったらしい。義母の闘病生活への覚悟のようなものを感じた。 病院はずっと居られるわ

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