1944年以降、旧日本軍は各地で地下軍事施設を造成し始めた。サイパン島が陥落し、米国のB29機による本土空襲が可能になったからだ。それから70年。戦争の痕を物語る施設の保存を巡り、明暗が分かれている。土地の権利関係が壁となり、消えかけている施設も少なくない。 大阪・高槻地下倉庫 「あれっ、この辺なんだけど。倒木も多いし、大雨のせいで地形が変わってしまっている」 大阪府高槻市成合地区の山中で6月、ガイドの橋本徹さん(74)は言った。1時間近く林の中を歩いたが、複数に分かれた地下壕(ごう)のうち、目当ての壕の入り口は見つからなかった。これまでは案内できた場所だ。 「こうやって戦争の記憶は消えていくんですわ」 この地下壕は、高槻地下倉庫。頭文字をとって、通称「タチソ」の暗号名で呼ばれた。橋本さんは「高槻『タチソ』戦跡保存の会」のメンバーだ。 保存の会によると、地下壕群は5地区あるが、現在見学しや
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