目下のところ、言論に対する橋下市長のおぞましい弾圧が奏功したように見える。 このような場合、いかなる立場をとるかに関しては、己れの政治的経験のすべてがかかる重大な決断を強いられる。どのような立場をとろうとも、それぞれ理屈をつけることはできようが、問題は政治的決断であるから、それを理性的説得によって共有することは容易ではないかもしれない。それでも少なくとも態度表明は、すべての言論人の義務であると感じるので、あえて書き記しておくことにする。 我が国の憲法的原理は、憲法の初めの8カ条を除けば、大雑把に言って自由主義的原理と民主主義的原理に基づいていると言ってよいであろう。政治的主張がどのようなものであれ、それを基盤にして始めなければならない。 しかし、ここで注意すべきは、この二原理が常に調和的とは限らないということである。たとえは、ヒトラー政権はワイマール民主主義の手続きに従って、民主主義のただ
19日、スウェーデン国政選挙の結果、右翼のスウェーデン民主党SDが20人当選した。この結果に不満や憤りを感じる人たちが、ただちに20日(月)の夜、町に繰り出して反対のデモをした。 報道によると、ストックホルムのセルゲル広場に集まった数は1万人を超えた。このデモを仕掛けたのは、フェリシア・マルギノーFelicia Margineauという17歳の少女だった。選挙結果を知ったフェリシアは、SDが議席をとったことに失望し、フェイスブックでデモを呼びかけたという。 彼女は聴衆に訴えた。「私は17歳です。私のやったことを見てほしい。連帯したら何かできるということを想像してほしい。私は、私たちはレイシズム(人種差別主義)を支援などしていないということを見せたいのです」 セルゲル広場に集まった人たちの足は、自然に国会議事堂に向かった。ストックホルムだけでなく、ヨ―テボリやマルメでも、同様のデモが繰り広げ
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