2015年2月24日のブックマーク (6件)

  • 終戦直後に爆心地見た元ソ連スパイの死 晩年の証言とは:朝日新聞デジタル

    モスクワで今年、101歳の男性が生涯を閉じた。原爆が投下された直後の広島、長崎へ、米国よりも先に調査に入ったソ連軍(当時)のスパイだった。同僚は放射線障害で死亡し、自らは生き延びた。報告書の所在は被爆70年が迫る今も分からないが、元スパイは晩年、親しい友人にその内容を明かしていた。 スパイはミハイル・イワノフ氏。第2次世界大戦末期は東京のソ連大使館に在籍し、ソ連軍参謀部情報総局(GRU)の一員として活動していた。戦後も1970年代に武官(軍人外交官)として日で勤務した。 「彼が日人を悪く言うのを聞いたことがない」。日ロ関係史を研究するアレクセイ・キリチェンコさん(78)は、自宅があるロシアのモスクワでこう振り返った。かつて旧ソ連国家保安委員会(KGB)第2総局(防諜(ぼうちょう)局日担当)に勤め、「知られざる日露の二百年」(現代思潮新社)の著者でもある。 スパイの諜報活動内容は漏ら

    終戦直後に爆心地見た元ソ連スパイの死 晩年の証言とは:朝日新聞デジタル
    silolin
    silolin 2015/02/24
  • 「悪夢?うらやましい?」職場が猫だらけだとこんなことになる : らばQ

    「悪夢?うらやましい?」職場がだらけだとこんなことになる 職場にがたくさんいたら天国? それとも地獄?……そんな無謀とも思えるオフィスがオランダに実在します。 「Poopy Cat」はの使い捨てトイレを販売する会社で、がいるのも理由があるのです。 オフィスがまみれだと、どうなるかというと……。 1. パソコンの上に乗ってくる。 2. 肩にも乗ってくる。 3. 飲み物は狙われる。 4. べ物も狙われる。 5. プリンターも狙われる。 6. ゴミ箱=遊具。 7. ときどき戦いも発生する。 8. 人間の会議なのか、の会議なのかわからない。 9. 常に視線を感じる。 10. マッサージを要求してくる。 11. 電話中に「なでろ」と要求してくる。 12. 近所の子供も集まってくる。 13. 常に毛だらけ。 14. 掃除と同時進行で散らかる。 と言ったように、とても仕事がはかどるとは思え

    「悪夢?うらやましい?」職場が猫だらけだとこんなことになる : らばQ
    silolin
    silolin 2015/02/24
  • Кошка Марта и котята

    silolin
    silolin 2015/02/24
    珍しい模様だな。何て品種なんだろう?
  • 新R25 - シゴトも人生も、もっと楽しもう。

    新R25は、いま注目のビジネスパーソンが集結する「ビジネスバラエティメディア」です。「シゴトも人生も、もっと楽しもう」をコンセプトに、R25世代のみなさんが一歩踏み出すあと押しをするコンテンツをお届けします。

    新R25 - シゴトも人生も、もっと楽しもう。
    silolin
    silolin 2015/02/24
  • 東京都立駒場高等学校 - Wikipedia

    沿革[編集] 1902年4月 - 東京府立第三高等女学校開校。 1940年 - 英語部が岡倉英語教育賞を受賞。 1946年9月 - 第二次世界大戦より現在の地に移転。 1950年 1月 - 東京都立駒場高等学校と校名を変更。 4月 - 男女共学開始。加えて保健体育科と芸術科(美術科・音楽科)を併設。 1951年5月 - 創立50周年記念式典を祝う。 1952年 - 学区合同選抜制度導入。 1962年5月 - 旧校舎である鉄筋4階建ての校舎完成。 1967年2月 - 駒場・新宿高校で21群の学校群制度導入。 1969年10月18日 - 大学などの学生運動の影響を受けた生徒の一部が、日米安全保障条約の粉砕を主張して校舎を占拠[4]。 1972年4月 - 芸術科が東京都立芸術高等学校として分離独立。 1982年 - グループ合同選抜制度導入、戸山・青山・新宿・都立大学附属・広尾・目黒・赤城台の各

    東京都立駒場高等学校 - Wikipedia
    silolin
    silolin 2015/02/24
    ローラシリーズ(「大草原の小さな家」等)の翻訳などをしている英米児童文学翻訳家の谷口由美子さんも卒業生。元都議の三井マリ子氏、元八王子東高校校長で東京書籍版日本史教科書著者の菱刈隆永氏も元教員だね。
  • 政府に辛うじて理性が残っていた時代の談話 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    1985年8月15日に当時の中曽根首相は、A級戦犯を合祀した靖国神社に公式参拝しました*1。当然、それに対する反発は国の内外で生じ、翌1986年8月15日には公式参拝しないと後藤田官房長官が宣言するに至ります。 内閣総理大臣その他の国務大臣による靖国神社公式参拝に関する後藤田内閣官房長官談話 昭和61年8月14日 戦後40年という歴史の節目に当たる昨年8月15日の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に、内閣総理大臣は、気持ちを同じくする国務大臣とともに、靖国神社にいわゆる公式参拝を行った。これは、国民や遺族の長年にわたる強い要望に応えて実施したものであり、その目的は、靖国神社が合祀している個々の祭神と関係なく、あくまで、祖国や同胞等のために犠牲となった戦没者一般を追悼し、併せて、我が国と世界の平和への決意を新たにすることであった。これに関する昨年8月14日の内閣官房長官談話は現在も存続してお

    政府に辛うじて理性が残っていた時代の談話 - 誰かの妄想・はてなブログ版
    silolin
    silolin 2015/02/24