ブックマーク / tatage21.hatenadiary.jp (21)

  • 語源を考える〜『みなみ(南)』 - tatage21’s diary

    方角を表す『みなみ(南)』の語源について「日語源大辞典」(前田富祺監修、2005年、小学館)にはこう書かれている。 みなみ【南】 方角の名。日の出る方に向かって右の方向。十二支では午(うま)の方角に当たる。✦初出:蜻蛉 974頃 [語源説] ❶ミナミ(皆見)の義〈和句解・日釈名・志不可起(しぶがき)・国語蟹心鈔(かいしんしょう)・類聚名物考・和訓集説・名言通・和訓栞・紫門和語類集・大言海・語理語源=寺西五郎〉。 ❷ミノミの義。ミノミは海の見える方の意〈東雅〉。海ヲ見ルの転。また上ノミハ見ユルの略〈蒼梧随筆(そうごずいひつ)〉。 ❸ミノミ(水之実)の義。水の中心の意〈国語の語根とその分類=大島正健〉。 ❹マヒナカ(真日中)メリの反〈名語記〉。 ❺マノヒ(間日)の義〈言元梯〉。 ❻ヒナミ(日並)の義。ヒとミは通ず〈和語私臆鈔〉。 ❼メノモの義で、メ(目)の方、モ(面)の方の意〈神代史の新研

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    silolin 2016/02/18
  • 語源を考える〜『ナナカマド』 - tatage21’s diary

    Wikipediaのナナカマドの項目にはこんな記述がある。 語源 「ナナカマド」という和名は、“大変燃えにくく、7度竃(かまど)に入れても燃えない”ということから付けられたという説が広く流布している。その他に、“7度焼くと良質の炭になる”という説や、器にすると丈夫で壊れにくい事から“竃が7度駄目になるくらいの期間使用できる”という説などもある。 牧野日植物図鑑の記述 千数百種類の植物に学名をつけ「日の植物学の父」といわれ近代植物分類学の権威である牧野富太郎が記した『牧野日植物図鑑』は1940年に出版されたであるが、講談社の「近代日の百冊を選ぶ」にも選ばれている。その図鑑のななかまどの項に《材ハ燃エ難ク、竃ニ七度入ルルモ尚燃残ルト言フヨリ此和名ヲ得タリト伝フ。》と記されている。 辞典における記述 以下のように、異口同音に「七度かまどに入れても燃えない」という趣旨の説明をしている。

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    silolin 2016/01/27
  • 語源を考える〜『つたなし(つたない)』 - tatage21’s diary

    『拙し(口語:拙い)』の語源について、日語源大辞典(前田富祺監修、2005年、小学館)にはこうある。 《つたな-い》 【拙い】 能力や品格など、物事が劣っているさまについて広く用いる。✦(初出)西大寺金光明最勝王経平安初期点 830頃 [語源説] ❶ツト(勤)ナシの意〈大言海〉。 ❷ツテナシ(着手无・伝無)の義〈和句解・日釈名・言元梯〉。人に伝えるべき智も巧もない意で、ツタフナシ(伝無)の義〈名言通〉。来は悪運の有様をいうツタナシの義から〈国語の語根とその分類=大島正健〉。 ❸ツタはチ(霊)から派生した語か〈日古語大辞典=松岡静雄〉 この語彙の語源説は「暮らしのことば語源辞典」にもネット辞書にも無いので、確認できた語源説は日語源大辞典のものだけだけど、どれもこじつけっぽい。 一方、時代別国語大辞典上代編(1967年、三省堂)には〔播磨風土記の「都太岐」「怯(つだき)」から形容詞

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    silolin 2016/01/27
  • 語源を考える〜『ぐれる』 - tatage21’s diary

    「悪の道に入る」の意味の『ぐれる』の語源について「暮らしのことば語源辞典」(山口佳紀編、1998年、講談社)には、こう書かれている。 《ぐれる》 不良になる。悪の道に入る。 語源は、グレハマのグレに活用語尾をつけて動詞化したものという。グレハマはグリハマの転で、グリハマはハマグリ(蛤)をひっくり返して成った語。ハマグリの二枚の貝殻はぴたりと合わさるものだが、ひっくり返すとどうにも合わなくなることから、物事がい違うことをいう。江戸末期の歌舞伎『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』に「それから、島で窮屈な勤めが嫌さにぐれ始め」の例がある。〚佐々木文彦〛 ✻青砥稿花紅彩画 江戸時代の歌舞伎世話物。通称『白浪五人男(しらなみごにんおとこ)』。河竹黙阿弥作。日駄右衛門・忠信利平・南郷力丸・赤星十三郎・弁天小僧の五人の盗賊を主人公とする白浪物の代表作。文久二年(1862)初演。 またネッ

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    silolin 2016/01/27
  • 『ねこ』の語源を考える⑯ - tatage21’s diary

    が通って来た道 「『ねこ』の語源━━私の仮説」の所で、日には紀元前500年頃にが渡来したと書きました。しかしこの私の説が成立するためには紀元前500年以前に中国が居なければなりません。通説では中国が入ったのはそれより1000年以上も後、紀元6世紀のことだとされています。そこで果して紀元前500年以前の中国が居たかどうかを考えてみます。 中国が入ったのは紀元6世紀というのは加茂儀一氏の「家畜文化史」(1973年、法政大学出版局)から広まった通説のようですが、この時中国に入ったは色は淡黄または白で長毛かつ垂れ耳だったというような頸をかしげるような記述もあり、そのまますんなり受け入れられるような説ではありません。 1958年に同じ法政大学出版局から刊行された木村喜久弥氏の「ねこ/その歴史・習性・人間との関係」には「史家によれば、ネコは西暦400年の頃、中国において家畜

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    silolin 2015/03/02
  • 露出形・被覆形の起源について① - tatage21’s diary

    「『ねこ』の語源を考える」を何とか書き終えたので、引き続き「露出形・被覆形の起源について」を書きたい。とは言っても詳しく書くだけの時間は無いので、基的な考え方は以前にはてなハイクに書いたこの記事を読んでいただきたい。 http://h.hatena.ne.jp/touch/target?word=%E9%9C%B2%E5%87%BA%E5%BD%A2%E3%81%A8%E8%A2%AB%E8%A6%86%E5%BD%A2 あとは露出形・被覆形の各タイプの例を挙げて行きます。

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    silolin 2015/03/02
  • 『ねこ』の語源を考える⑮ - tatage21’s diary

    は舶来のか? 『からねこ』について、辞書にはこう書かれています。 ①からねこ【唐】舶来のネコ。上流社会で珍重愛翫された。のちには一般のネコにもいう。(岩波古語辞典) ②からねこ【唐】(中国から渡来したことから)舶来の。(大辞林) ③からねこ【唐】(中国から伝わったからいう)に同じ。(広辞苑) この三種の辞書の説明は微妙に違っていて、②③が中国から渡来したとしているのに対し、①は中国とは書いていません。中国以外の地域である蓋然性にも含みを持たせた書き方です。 また①②がのうちの舶来のを特に『からねこ』と呼んだとしているのに対して、③は唐としているという違いもあります。 広辞苑が唐としているのは、広辞苑が基的に現代語の辞書であって、現代語における『からねこ』の意味を記述すれば良しとしているからなのかも知れません。 源氏物語の「からねこの、こゝにたがへるさましてな

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    silolin 2015/02/28
  • 『ねこ』の語源を考える① - tatage21’s diary

    はじめに 以前、はてなダイアリーに「『ねこ』の語源を考える」を途中まで書いたのだけど、はてなハイクを退会したらはてなダイアリーの記事も消えてしまったので改めて書きます。 とは言っても、現在所持金も残り少なくなり、3月14日でスマホが使えなくなるのは必至なので、何とかそれまでに書き終えたいけど、間に合わなかったら諦らめます。

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    silolin 2015/02/28
  • 『ねこ』の語源を考える② - tatage21’s diary

    かつてCats誌の1991年3月号で、皆川澄子さんに『ねこ』の語源についての私の考えを紹介していただいた事があります。 気がつけば、それからはや四半世紀近くの長い歳月が流れてしまいました。その間、いつかはきちんとした形で私の考えをまとめておきたいと思い、実際に一度は書き上げたのですが、内容にいまひとつ不満な部分があったりして、書き直した上で発表をと思っているうちに、こんなに時間がたってしまいました。 この間にも、たくさんの人が『ねこ』の語源について記述しています。けれども残念なことに私の目に触れた限り、そのどれもが従来の語源説の踏襲もしくは紹介にとどまっていて、注目すべき新説も無く、すでに語源説は出尽くしたと思われているようですが、果たしてそうでしょうか。実は従来の語源説はどれもそれぞれに問題点・難点を抱えているのです。 そんな訳で、今でも私の考えを改めて述べることの意味は充分にあるのでは

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    silolin 2015/02/28
  • 『ねこ』の語源を考える③ - tatage21’s diary

    ◆④の説は擬声語+接尾辞という構造で考えている点では①の『ねうこ』説と共通であり、なおかつ音韻変化の面での『ねうこ』説の弱点を克服する説として登場したもので、「広辞苑」のほか「新潮社国語辞典」「岩波古語辞典」等辞書ではこの説を採用しているものが多いようです。 ただ、『ね』という擬声語が実在したかどうかに疑問があります。 ◆⑤の説は語源を中国の漢字音に求めている訳ですが、その漢字音もまた擬声語由来と考えられますから基的には①・④と同じく擬声語+接尾辞というパターンです。この説の場合『めうこ→めこ』の部分に、後述の『ねうこ』説と同様の弱点があって私は支持できません。 ただ、『めこ』という語形は実在した蓋然性が高いと思います。院政期の12世紀初め頃の成立と思われる漢和辞書「類聚名義抄」には「狸、タヌキ・タゝケ・メコマ」という記事があって、『めこま』という語形が実在したことも確認できますし、むし

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    silolin 2015/02/28
  • 『ねこ』の語源を考える④ - tatage21’s diary

    『ねうこ』説の問題点 1936年(昭和11年)に「蚕糸界報」に連載された石田孫太郎氏の「虎平太郎」の第10回(9月号掲載)「ねこと云ふ言葉」に、歴史学者津國登一氏の説として「…現今の啼聲をニャンニャンと云って、これにコを附し、ニャンコと呼ぶやうに、源氏物語や枕草子にも、の啼聲をネウで表はして居るが、其ネウが約(つづま)ってネコと為ったものである。(中略)紫式部も清少納言も、ネウネウとの啼聲を聞いたことに間違ひなく、何時とはなしに、之れにコが附いてネコと為ったものに相違あるまい…」と書かれているのが『ねうこ』説の初出ではないかと思いますが、残念ながら津國登一という人については何も判りません。あるいは実在の人物ではなく、石田孫太郎氏自身がモデルなのかも知れません。 「ねこ/その歴史・習慣・人間との関係」の著者木村喜久弥氏や、「鏡」(1990年、平凡社)の著者花輪莞爾氏もこの説を支持さ

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    silolin 2015/02/28
  • 『ねこ』の語源を考える⑤ - tatage21’s diary

    問題の『う』ですが、源氏物語には「考える」を『かうがへる』(行幸)、「讒言(ざんげん)」を『ざうげん』(柏木)と記した例もあって、こうした撥音を『う』で表記した例が同じ源氏物語中に見いだせる点からみても、『ねうねう』が実際にはnen-nenと発音されていたことは充分有り得ると思います。 玉上琢彌博士の「源氏物語訳注」(1970年、角川文庫)にも、ひとつの解釈としてではありますが、『ねうねう』の『う』が撥音の表記であることを示唆する記述があります。さらに玉上博士は、『ねうねう』が『寝む寝む』に懸けた懸けことば的用法かも知れないという興味深い推理も行っています。 もし『ねうねう』が『寝む寝む』に懸けた表現であるならば、その発音はnen-nenでなければなりません。neu-neuでは懸けことば的用法にはなりませんから。そこで果たして玉上博士の推理が正しいかどうかを考えてみることにします。 まずこ

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    silolin 2015/02/28
  • 『ねこ』の語源を考える⑥ - tatage21’s diary

    『寝子』説の問題点 『寝子』説がいつ頃誰によって言い出されたのかは明らかではありません。1889年(明治22年)刊の「言海」に「✱或云、寝子ノ義」とありますから、少なくともそれ以前から『寝子』説があったことは確かですが、提唱者の確認はできませんでした。 ✱「言海」の『ねこ』の項の冒頭には「ねこまノ下略。寝高麗ノ義ナドニテ、韓國渡來ノモノカ、上略シテこまトモイヒシガ如シ」とあって、著者大槻文彦は『寝高麗』説であったのが判ります。→『寝高麗』説については後述。 『ねこ』の語源説として『寝子』説がよく知られているにもかかわらず、『寝子』説を積極的に支持しているのは、私が確認した限り、「語源 面白すぎる雑学知識」(日語倶楽部編、1990年、青春出版社)だけでした。 『✱うなぎ(鰻)』は胸が黄色いから『むなぎ(胸黄)』と言ったとか、『✱✱ねずみ』は盗みをするから『ぬすみ』が訛って『ねずみ』になった

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    silolin 2015/02/28
  • 『ねこ』の語源を考える⑦ - tatage21’s diary

    近世以後の動詞『ねる(寝る)』に相当する古語は二つあります。『ぬ』と『いぬ』の二つです。ともに下二段活用の動詞ですから、複合語を作る時に使われる連用形は、それぞれ『ね』『いね』となります。 『ぬ』の連用形『ね』の場合は語形上の問題はありません。ただ『ぬ』は通常男女の共寝を意味する言葉ですから、意味の上から、この『ぬ』が『ねこ』の語源である確率は低いと思います。 一方の『いぬ』の方は眠りにつくという意味ですから、意味に関しては問題ありません。ただ語形となると、『いぬ』の連用形『いね』に愛称の接尾辞『こ』が付いた場合は『いねこ』になるので、やや問題があります。 もし『いねこ』が『ねこ』の語源であるなら、どこかで語頭の『い』が脱落したという事になります。語頭の『い』が脱落した例としては、他ならぬ『いねる→ねる(寝る)』をはじめ、『いでる→でる(出る)』『いだく→だく(抱く)』などの例がありますが

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    silolin 2015/02/28
  • 『ねこ』の語源を考える⑧ - tatage21’s diary

    『ねこま』の語源説 『ねこ』の別称『ねこま』について、室町時代の1445年頃に書かれたとみられる百科辞書「✱挨嚢鈔(あいのうしょう)」には、こんな記述があります。 ✱『あい』は原では土偏に蓋。同音同義の『挨』で代用しました。著者行誉は京都観勝寺(焼失により現存しない)の僧。 「✱狸ノ字ヲ。✱✱タゝゲトヨム。又子コマ共ヨム。只子コト同事也。」 ✱『狸』の字について、「日動物民俗誌」(中村禎里著、1987年、海鳴社)には次のように書かれています。 「中国における狸がすでに動物学上単一の動物を指すとは思われない。(中略)狸は『爾雅翼』によればキツネの類でヒョウに似る。また『草衍義』および『草綱目』においては狸はネコに近い。これらの論拠にもとづき、久米邦武、相馬由也および日野厳は、狸は日語のネコに相当すると断じた。しかしこの動物は野獣であるから、中国において狸とは、ヤマネコを中核とする野

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    silolin 2015/02/28
  • 『ねこ』の語源を考える⑨ - tatage21’s diary

    それでは『ねこま』の語源は何なのでしょうか?『ねこ』の部分については後ほど詳しく述べる事として、『ねこま』の『ま』にについて考えてみます。 『岩波古語辞典』の『ま』の項目を引くと次のような『ま』が載っています。 ①目②馬③間・際④魔 またmaと子音が入れ替りやすいbaとna、母音が入れ替りやすいmoについても調べてみました。 ば①場 な①己②汝③肴④菜⑤魚⑥名⑦字⑧儺⑨《接尾辞》 も①妹②面・方③喪④裳⑤藻 これらの中で『ねこま』の『ま』の語源として考えられそうなのはⒶ目Ⓑ《接尾辞》の『な』の二つでしょう。それぞれについて考えてみます。 Ⓐ目 『ま(目)』は『まぶた』『まつげ』の『ま』で、『め(目)』の被覆形です。光の量に応じて虹彩の形が大きく変わったり、夜間緑色に光ったりするの目の強い印象から、の目を『ねこま』と呼び、やがて『ねこま』が『ねこ』そのものの意味でも使われるようになったと

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    silolin 2015/02/28
  • 『ねこ』の語源を考える⑩ - tatage21’s diary

    『ねこ』の語源━━私の仮説 『ねこ』の語源を考える時、私には気になることがあります。nekoという言葉にeという母音が含まれていることです。 日語の歴史を遡ってみると、「古事記」「日書紀」「風土記」などが書かれた8世紀には a・i・Ï ・u・e・ë・o・ö の8種類の母音が使われていたと考えられています。このうち ï・e・ë の3種類の母音は✱日語から連母音が消えた時に、連母音の合成によってできた母音で、それ以前の日語は a・i・u・o・ö の5母音でした。 ✱日語は元来連母音を持たない言語であったとの説もありますが、私は日語は元々は連母音を許容する言語であったのが、おそらく4〜5世紀頃に外来の言語の影響の下に一時的に連母音が消えたのだろうと思います。 5母音が8母音になった時期が何時なのかを特定するのは難しいのですが、卑弥呼が生きた3世紀当時はまだ5母音であったことが、✱「魏

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    silolin 2015/02/28
  • 『ねこ』の語源を考える⑪ - tatage21’s diary

    けれどもⒶの説に対しては批判もありますから、批判について検証してみたいと思います。 ❶縄文時代の遺跡から出て来る骨はツシマヤマネコのような山の骨ではないのか? ❷記紀万葉といった古い文献にに関する記述が無いのは、その時代に日がいなかったからではないのか? ❸中国に入ったのは6世紀。紀元前500年頃の日が渡来する筈がない。 批判❶に対して 小型の骨が遺跡から出て来るのは縄文晩期になってからだという点に注意したいと思います。 日列島が大陸と地続きだったのは無土器文化の時代、今から1万4000年以上も前のことで、縄文晩期には日列島は周囲を海に囲まれています。 泳ぎが得意でない山が海を泳いで渡ってきたとは考えられません。人がを連れてきたと考えるのが自然です。 また、小型の骨が出土するのが山野ではなく貝塚であるという点にも注意が必要です。日にはや山の肉を用とす

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    silolin 2015/02/28
  • 『ねこ』の語源を考える⑫ - tatage21’s diary

    『かな』の語源 江戸時代の方言辞書「物類称呼」(越谷吾山著、1775年)にはこんな記述があります。 「かなといふ事はむかしむさしの国金沢の文庫に 唐より書籍(しょじゃく)をとりよせて納めしに 船中の鼠ふせぎにねこを乗(のせ)て来る 其を金沢の唐ねこと称す 金沢を略して かな とぞ云ならはしける(中略)今も藤沢の駅わたりにて児(ねこのこ)を■〈口偏に羅〉(もら)ふに 其人何所(どこ)にてござると問へば のぬし是は金沢なり と答るを常語とす」 江戸時代の東国(関東地方)でのの方言『かな』の語源は金沢文庫の『かな』なのだと書かれている訳ですが、この語源説には疑問があります。 ①金沢文庫の創始者は金沢実時ですが、金沢氏の姓は『かねざわ』であって、金沢文庫も鎌倉時代には『かねざわ文庫』と呼ばれていました。 ②金沢文庫が創設され、盛んに利用された鎌倉時代、中国は元の時代で日とは国交が無か

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    silolin 2015/02/28
  • 『ねこ』の語源を考える⑬ - tatage21’s diary

    『おて』の語源 全国方言辞典と同じ著者による「分類方言辞典」(1954年、東京堂出版)には、『ねこ』の方言もいろいろ掲載されていますが、意外性で際立っているのが『おて』(滋賀県蒲生郡八幡)という方言でしょう。 東條操氏はこの項目に「→えて」と書き込んでいて、『おて』は猿の別称『えて』から音と意味が転じたものと考えていたようです。果してそうでしょうか。 猿とを間違えるなどということは、ほとんどあり得ない事ですし、『さる』が「去る」に通じるという発想から生まれた忌み言葉『えて』は今も広く使われている言葉ですから、『えて』から音が転じて『おて』になり、さらに意味も転じてを意味するようになったとは、とても考えられません。 先にも触れた室町時代の辞書「挨嚢鈔」にはこんな記述があります。 ヲ✱乙(ヲト)ト云ハ何ノ故ゾ 虎ヲ。於菟(ヲト)ト云也。然ニノ姿。并ニ毛ノ色虎ニ似レル故ニ。世俗ヲ呼ビテ

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    silolin 2015/02/28