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菊池 誠●大阪大学サイバーメディアセンター教授。1958年生まれ。東北大学大学院理学研究科博士後期課程修了(理学博士)。専門は学際計算統計物理。SFの解説や翻訳も手がける。 「血液型性格診断」に科学的根拠がないことは、すでに心理学の実験で証明されている。多くの人はそれを半ば理解したうえで、「しょせんは遊びだから」と軽く考えて話題のネタにしている。だが血液型性格診断には遊びでは済まされない問題が含まれている。 4冊累計で500万部を突破した『自分の説明書』シリーズで最初に発売されたのは「B型」だった。ネガティブに評価されやすいB型を取り上げれば、読者の関心を集められると考えたのだろう。これはB型が差別されているという証拠にほかならない。血液型という後天的に変えられない属性への差別は、陰湿でタチが悪い。 この問題が根深いのは、「血液型で性格が決まる」という問題設定が十分に科学的だからだ。「
友だちでも仕事仲間でも家族でも恋人でも、 このひとを大切にしたいなーと思ったらいろいろしてあげたくなりますが、 わたしはたいした人間ではないので、なにか相手に素晴らしいことをしてあげるぞ! なんて期待を自分にしすぎて膨れてぺしゃんこになったことが多々(数え切れないくらい)ありまして、 最近はそういうことはあまりせずに、ただひとつのことだけを心がけるようにしています。 それは絶対に自信をくじかないということ。 自信をもってもらうヒントをたくさん見つけて伝えること。 つらいことや悲しいことから守ってくれるのは 最終的には自分が他人に肯定されている、愛されている、 という自信だけだと思っていて、それをいかにたくさん、 一緒に見つけられるかだと思っています。 それはどんなことでもよくて、 電話の声が素敵だね、とか 笑った皺がかわいいね、とか お茶碗の洗い方が丁寧だね、とか、 ほんとにもうなんでも、
いい流れなので、俺も書いてみようかな。 http://d.hatena.ne.jp/aroundthedistance/20090216/1234717496 2009-02-16 「相手を理解しよう」という気持ちも大事だし、想像力も大事。その結果としての失敗も経験として身となるという経験にも同感する。結局、結果が出るから答えがわかるわけで。正解か不正解かわかる。それを今後に生かせば、それは立派な経験値。 失敗なんてせずに、ひたすら成功し続ける。当たりくじを引き続けるのがベストだろうけど、なかなかそういうわけにはいかない。であれば、失敗をすることで、修正できるというのはベターな方法ではないかと。成功して自分の行動があっていたとわかるのも進歩だけど、失敗して自分の行動が間違っていたとわかるのも進歩。 あとだ。この言葉を大事にしたいと思ってる。 恥では死なない 昨年、最も心に残った言葉がこれ。
んー、そう思いますね。 寂しいと感じるのは自分だけじゃないと。 ★みんな点在する星 『Twitterのタイムラインは、星みたいだ。』でも書いたのですけれど、Twitterのタイムラインを見ていると星みたいだと思いますね。それは今も思います。 それぞれいろんな色の輝きを放ちながら瞬いている。リアルの姿は見えないけれど、POSTされていることから、その人が生きているといういことがわかります。 そして、タイムラインで時折「寂しい」というPOSTをみかけます。 そうですね、みんな多かれ少なかれ寂しいと感じることはありながら生きているものなんじゃないかな、と思うのですよね。 そして「寂しいのは自分だけじゃない」とそう言い聞かせることで少しは楽になるような気がします。 ★つながりたいけれど、つながれない寂しさ 『ネットにおけるつながり感とか孤独感とか』でも書いたのですけれど、 つながりが欲しいけれど、
自分の悩み、決断できない何かについて、誰かからアドバイスをもらう場合、より有益なアドバイスが得られる方法3つをまとめてみました。 ルールその1 必ず両方の選択肢を質問に入れる。 具体例:「Aだと思いますか?それともBでしょうか?」 アドバイスを求められた時、相談された人がまず考えることは「この人は本音ではどちらを望んでいるんだろう?」ということです。 大半の人は自分の心の中に答えを持ってます。相談された人の役目はそれを「ほら、そこに答えがあるでしょう?」と指し示すことです。 下記は転職についてアドバイスを求められている例です。 「すごく強く誘われているのですが、転職すべきでしょうか?」「そうですね、そんなに強く誘ってもらえるってなかなかないですよ。真剣に考えてもいいかもしれません」 「迷っているんですが、やっぱり断るべきでしょうか?」「そうですね。生半可な気持ちでyesって言わない方がいい
最近、「承認欲求」関連の記事を立て続けに見かけたので、保存がてら、まとめてコメントしてみようと思う。百家争鳴の観だが、多くの記事に共通しているのは「時代の変化」「承認欲求的な何かを体感することの、現代的困難さ」だったとは思う。そのうえで、見通しや対策について色々な人が意見交換している、という風にみえた。 なお、このまとめ記事では、混乱をできるだけ避けるために、A.マズローの欲求段階説にある用語「承認欲求」「所属欲求」「自己実現欲求」に統一したニュアンスで書いていくこととする。以下のリンク先の文章は「承認」「承認欲求」がそれぞれで微妙に違っているような気がするが、この記事クリップ上では、一律にマズローの欲求の階層を念頭に置いたうえで言及してみる。 Thirのノート 今回のやりとりのスタート地点、とおぼしき記事。この記事では、まず「承認」の定義づけから入っているが、内容から察するに、マズローで
だらだらとしているうちにまた髪が伸びてしまった。切りにいくのは床屋より美容院のほうがかっこよくできる気がするので美容院にいこうと思うのだけど、あの空気感が苦手なので、髪を切ること自体から足が遠のいてしまう。 僕だけではないと思うが、鏡越しの会話というのがどうにも慣れない。でも、無言で押し通そうとするのも心が苦しい。でもでも、このまま美容師との会話を避け続けたら、髪が肩まで伸びてしまう。 そんな事態にならないように、あらかじめ傾向と対策を検討しておこうと思う。 (text by 藤原 浩一) 髪を切ってもらいたいだけなのに 雑誌を読んでいると話しかけられずにすむ、という話を聞いたことがある。しかし、僕は普段めがねをかけていて、髪を切るときにはそれを外さなければならないので、雑誌は読めない。 美容師とはタイマンをはらねばならないのである。逃げることはできない。 さて、美容院に行ったときに美容師
大学の時、男の子を好きになった。 就職活動の時に知り合ったんだけど、新幹線で結構な金額と時間がかかる遠隔地在住だった。 いったん別れた後、数か月してから、私から彼の元に会いに行った。 引かれてないかな、とは不安に思ったけど、 「来てもいいよ」と言ってくれたので、赴いた。 彼はその当時理系の学生で、自分の研究室を持っていた。 研究室に入れてもらって、就職活動や研究についていろいろ話してもらった。 気がつくと深夜。 「今日はどこに泊まるの?」 「えっと、近くのネットカフェに」 「ふーん、じゃ、今日は遅いから、もう帰ってね。」 拍子抜け。 その後も数度会いに行った。 4月からお互い就職して、彼の方が上京して来て近距離になった。 けど、会ってくれなくなった。 最後にメールが来て「仕事に集中したいし、しばらくは会う時間とれない。ごめん。」。 ショックだった。 あの時彼は気づいていた? 気づいていただ
映画や書籍を読んで「考えさせられる作品だった」とか言う人がいる。 あなたはこの言葉を言ったことがありますか? もし言ったことがないのなら非常に幸運。これからも絶対に口に出しちゃダメ。 「考えさせられる」なんて馬鹿を見分けるのに非常に便利な言葉です。 批評でこのフレーズを見つけたらそのレビューは何の価値もないとすぐに読むことをやめて結構です。 「考えさせられる」なんて言っている人は絶対に「何を考えたか」について口を割らない。 「考えさせられる」と言うことで何かを考えた気になって実は何も考えてないから。 同じく「考えてみればいいよ」とか言う人もダメ。そういう人も「自分は何を考えたか」は口を割らない。 「本人が考えなきゃ意味がない」と言って逃げる。何も考えてないだけなんだけどね。 これを読んだ人は「考えさせられる」なんて言っちゃダメだよ。 本当に考えてる人はそんなこと言わずに自分の考えを言葉にし
mixiは日本で最も本音が言えないコミュニティになってきたのかもしれないで、mixiの日記へのコメントが心にもないことを書く社交辞令の場になっているという指摘があった。 私は以前から、mixiはmixi日記に「コメントを受け付けない」モードを設けたらいいんじゃないかと思っている。理由は、つけられたコメントひとつずつにお返しコメントをするという行為が苦手だから。ある人に対するコメント返しは思いついても、他の人に対しては何を書けばいいか思いつかなかったりもする。個々のコメント返しのレスの長さも気になる。短いコメント返しを受けた人は気を悪くするんじゃないか、とか。私は過去にはmixi日記で過去数ヶ月のコメント返しをせず、ずっと先延ばしにしていたのを一気にまとめてやったこともある。そういうのが面倒になってmixi日記をあまり書かなくなった(実は今も一週間以上ためているコメントが…)。だからいっそ、
id:takerunbaのこういう所が大好き。愛してまう! 発言を額面どおりに受け取る 私もすごくすごくすごおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉくそう思うんですよ。 「空気を読むのはやめましょう」 「行間を読むのはやめましょう」 「言外のことを読むのはやめましょう」 これを「3つの読まない」と申します。「非読宣言」です。私たち「社交辞令が効かない会」は読みません。そのままです。シンプルでストレートな関係の構築を目指しておりますので、言葉とか表情などの表に出てくる要素以外のものは、一切読みません。逆な言い方をすれば、表に出てこないものは無視します。ないモノとして扱います。シンプルでストレートな関係に、存在するかしないかすらわからないものを持ち込まれても困ります。 発言を額面どおりに受け取る なんというオレ! 僕もこのタイプです。なんでかって?どんな事情があろうとも、本当に大切だと思っているものは絶対に表に
人は誰しも「自分のことをわかって欲しい」という気持ちがあります。 認知して欲しい 理解して欲しい 存在を知って欲しい 本当の自分を見て欲しい そうした気持ちが一歩進むと、まず、自分の願望がかなえられないことに苛立ちを生じます。 なんで認知しないんだ なんで理解しないんだ なんで存在を知ろうとしないんだ なんで本当の自分を見ようとしないんだ 「なんで」をつけたように、世間が疑問に思えてくる。「自分のことをわかって欲しい」という願望があるのに、それを満たさない世間。その間にギャップを感じるようになる。自分が世間から切り離され、世間を客観視する私となります。 気がつくとそれが攻撃性となる。認知しない世間、理解しない世間。それが自分に対する攻撃と感じる。意図的にそうしているのではないか。自分が嫌いだから。憎いから。ならばそういう世間が悪い。自分を認めない世間が悪い。排除しようとする世間が悪い。自分
絶賛活動中の「社交辞令が効かない会」ですが。 (過去記事)社交辞令が効かない会 - (旧姓)タケルンバ卿日記 「どのように活動したらいいのかわからない」という方にはこう説明しております。 http://twitter.com/takerunba/statuses/855683917 誘いは真に受ける 盛り上がったことは即座に日程を決める 「じゃ、そのうち」は認めない 言いだしっぺは即幹事 予定はなるべく手前に http://twitter.com/takerunba/statuses/855683917 話は真に受け、即座に具体化し、曖昧さは認めない。担当者を決定し、できるだけ早く実現する。これがコツでありますが、中でも大事なのが「誘いは真に受ける」。ここが重要であります。これが我が会最大のポイントと言っても過言ではありません。2番目以降はきっかけができてからの話。まずはそのきっかけがなけ
「品川庄司」の品川さんが、某深夜テレビ番組で「暴走族が早婚な理由」についての自説を述べていた。どうでもいいことを熱く語る能力にたけている品川さん。今回は「逆に言うと」という言葉を、戦略的に繰り返し使っていた。 「逆に言うと」と言いながら、ちっとも逆のことを言わない。手あかにまみれたこの言い方をとことん貫くこと でおかしみを際立たせる戦略は見事に功を奏し、共演者たちの爆笑を誘っていた。そこに相方の庄司さんが「逆に言うとさあ」と、これは正しく前後が逆の文脈表現で突っ込んだ。 「相方のくせしておれの『逆に言うと』の寿命を縮めてどうすんだよ!」。品川さんは怒るふりして突っ込み返し、きっちりオチをつけ、笑いをさらに増幅させていた。お笑いタレントの言語感覚には舌を巻くことが多い。 ビジネスパーソンこそ言語感覚を 言語感覚が求められるのは、何もバラエティー芸人だけではない。デキるビジネスパーソンは話術を
いじめ。学級崩壊。人類が21世紀を迎えてもう何年も経つというのに、教育現場では僕の子供時代と何ら変わることの無い問題が繰りかえされ続けているようだ。この辺りの問題は、単に教育問題というよりも、人類全体がずっと抱えてきた病気みたいなもんだから、さすがに一発で解決する方策を見出すのは難しいだろうと思う。ただ、少なくとも日本の学校教育においては、これらの諸問題を軽減する方法はあるのじゃないかと思う。それは子供たちに、ひとりぼっちでいることを許してあげることだ。 子供のころの僕にとって、学校を嫌いになる理由なんて無数にあったけれど、その中でも最も大きなもののひとつは、学校の中では、孤独が禁止されているということだった。構造として、制度として、学校はそういう風に作られている。学校の中で、ひとりぼっちでいると、ほんとうにみじめで寂しい思いをすることになる。大人になってから分かったことだけど、そのとき感
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