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ブックマーク / sunakago.hateblo.jp (2)

  • 『郵便的不安たち』について ――東浩紀と柄谷行人(第二回) - 鳥籠ノ砂

    そもそも、東浩紀にとって柄谷行人とはどのような存在だったのか。それを問うことは、柄谷行人にとって東浩紀がどのような存在だったのかを知ることに繋がる。てっとり早いのは、『郵便的不安たち』(一九九九)を読むことだろう。この評論集は『郵便的不安たち#』(二〇〇二)『郵便的不安たちβ』(二〇一一)とタイトルを変え、二回に渡って文庫化されている。その度に内容を大きく入れ替えているため、私たちは『郵便的不安たち』のテクストを二種類に分けることができるように思われる。すなわち、いずれの『郵便的不安たち』にも収められている中核的なテクストと、そうではない周縁的なテクストに。だが、事態はそう単純ではない。『β』にのみ収録されているものの方が、時期的にあとのものだという意味で重要だとも言えるからだ。だとすれば、私たちにはもはやなにが中核的でなにが周縁的なのかを決められない。つまり、『郵便的不安たち』にもまた脱

    『郵便的不安たち』について ――東浩紀と柄谷行人(第二回) - 鳥籠ノ砂
    sin16waki
    sin16waki 2012/05/07
  • 『存在論的、郵便的』について ――東浩紀と柄谷行人(第一回) - 鳥籠ノ砂

    東浩紀のデビュー作『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』(一九九八)は、従来のデリダ観を覆したことで知られている。ふつう私たちは、デリダの思想の変遷を次のように理解している。すなわち、六〇年代において彼は「脱構築」の理論について語り、七〇年代からはその理論をテクストの実践に移したのだ、と。だが、東浩紀によればそれは間違っている。東はデリダの主要概念である「脱構築」が、実際には大きく分けて二つあると見なすのだ。これら二つの脱構築は、『存在論的、郵便的』においてそれぞれ「論理的、存在論的脱構築」「郵便的、精神分析的脱構築」と呼ばれる。デリダは六〇年代においては前者の脱構築について主に語り、七〇年代を期に後者の脱構築を全面化した。したがってそれは、理論として語っていたものをたんに実践に移した、という単線的な話ではありえない。これが東浩紀の主張だ。 では「論理的、存在論的脱構築」と「郵便

    『存在論的、郵便的』について ――東浩紀と柄谷行人(第一回) - 鳥籠ノ砂
    sin16waki
    sin16waki 2012/04/24
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