あれは秋の日のことだった、と私は想起する。程なくして、いや夏だったかな、と、脳の別の部位で疑い出す。どちらにしても、私たちが出会ったのはビッグサイトの東ホールだった、西ではなく。あの頃、私たちはモスキート音を煩く感じる程度には幼く、オフセット印刷をためらう程度に懐も寂しく、ただ猶予された時が少しずつ終わりゆくのを意識のどこかで感じながら、しかし抗うこともできないのだと、深いところで知っていた。 人生の時間が、砂時計の砂のように定量化できるのだという一種の強迫観念を、私たちが自らの身体に強力に埋め込んだとき、『青春』などというものは途端に輝きを増すのだろう。かつては青春学園中等部テニス部の1年生だった私たちも、いつしか「生命保険 必要」とか「卵子凍結 予算」といったワードで検索せざるを得なくなり、虫歯だと思って掛かった歯医者で「加齢により歯茎が下がっています」等と言われるようになる。 そして