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考え方とmemoに関するsingo2ndのブックマーク (7)

  • テキストに知性があるかないかを見分ける10のポイント - ハックルベリーに会いに行く

    面白いとは何だろう?「知識」のプライオリティは下がっている町山智浩さんのブログを読んでいたら、興味深い一節に突き当たった。 オイラはものをあまりよく知らない。昔はそれを恥ずかしく思っていたし、よくバカにされてきた。でも、今はなんとも思わない。なぜなら、ネットの時代、知識は誰でも簡単に拾えるようになったので、知識そのものに価値がなくなったからだ。いや、それは言い方が違うな。当に物知りなのか、ネットで拾っただけの知識なのか見分けることが困難になったからだ。ちょこちょこっと検索して、それを散りばめれば物知りに見える文章は作れる。「鎮」という漢字が読めない知ったかぶり「雑学王」 - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 なるほどこれは確かにそうかも知れない。インターネットやIT機器の発達で、情報というものはこれまでと比べて格段と調べやすく、また引き出しやすい環境になった。だから、以前のようにそれを

  •  知性なんて気にしない方がモノを書ける - 奇Ring・エッセンス

  • Q:同性愛を認めるならペドフィリアも認めるべきでは?

    Q:同性愛を認めるならペドフィリアも認めるべきでは? メディアワークス「コミック電撃大王」誌上において、 2005年5月号から 『百合星人ナオコサン』という奇妙な漫画が連載されている。 作者はkashmir。 主人公の女子中学生【みすず】の家に、 ある日突然、 「百合星」からやってきた宇宙人 【ナオコサン】が居候を始め、 「百合星」の科学を駆使して 珍騒動を繰り広げるという設定のギャグ漫画である。 「百合星人」というタイトルを見れば、 【みすず】と【ナオコサン】が 「百合関係」を形成する作品なのかと推察される。 しかし、 「百合星」における「百合」の概念は、 この地球におけるそれとニュアンスが異なるようで、 【ナオコサン】が性的な関心を見い出すのは 専ら“幼女”だ。 加えて【ナオコサン】は、 しばしば【みすず】にも自身のペドフィリア嗜好をお仕着せすることから、 そうした「カルチャー・ギャ

  • どんなものでもデザインできる。:DDN JAPAN

    DDN は 音楽 ・ 映像 に関する デジタル アート を中心に情報ミックスを配信中

    どんなものでもデザインできる。:DDN JAPAN
  • 他人の評価でしか自分を認められません。

    こんにちは。 春まで就職活動をしており、来年から社会に出る学生です。 私は今までいわゆるエリートなコースにいました。 中高は地元でも有名な私立の進学校に通い、旧帝の大学に行き、就職するところも名門と言われる会社です。 今までは、成績がよければ褒められ、その存在を認められているものでした。 また、就職活動期は特に、不採用の通知では完全に否定され、しかし、面接通過や採用の通知では自分は取るに足る人間である、と認められている、と感じていました。 自分のしていることや、自分の存在する意味を、いつも他人に評価されることで確認してきていたように思います。 なので、自分がしていることが正しいのか、意味があるのか、自分で判断することができず、自分で物事を決めたり、始めたりすることがすごく苦手です。 しかし、このような甘えた状態は、もう長くないと感じています。 来年から働くようになれば、少しくらい業績がよく

    他人の評価でしか自分を認められません。
  • マジコンと売春、どうして差がついたのか。 « おれせん?

    マジコンの話が一部の界隈でちょいと話題なので、一枚噛んどこうという話。あとタイトルは「慢心、環境の違い」。 「一定の条件の元で合法化し、(法の)監視下に置く」という手段は、ことこの件に関してはありえねーです。 KOTOKOは好きですが今は関係ねーです。 理由は「金にならないから」に尽きます。 売春とかあるいはマリファナのような「金を払ってでも利用したい商品・サービス」であるならば、「囲って」「監視して」「(秩序を保つために)介入する」という手間をかけることが可能です。 (手間をかけてもコストが回収できます、というか回収できるコストを計算して手間をかけます) 翻ってマジコンはどうかというと、「無料でゲームが出来る機械」としての需要なので、来的に産業たりえません。 「新しい流通経路」等と持ち上げる向きもあるようですが、投資が回収できないチャネルならどれだけ需要があっても叩き潰さざるを得

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson490 自分とつながらない人 「まず自分と通じる」、 これが伝わる表現のスタートラインだ。 自分と通じていない人の話が、 人に通じるはずもない。 自分と通じるチカラは、みんなにある。 ただ、ふだん、 自分と交信する作業を、 サボりつづけていると、 いざ、自分と通じようというとき、 つながらなくて、 迷走することがある。 うまく「自分とつながる人」、 なかなか「自分とつながれない人」、 なにがちがうのだろうか? 「自分」について文章を書いてください というと、とても多くの人が、 次のような構造の文章を書く。 1.まず自分の「欠点」をあげる。 2.次に欠点の「原因」を考える。 3.そのような欠点のある自分は「嫌だ」 変わりたいと願う。 4.これからこんな自分になりたいと 「決意表明」で締める。 たとえばこのような文章。 「私はなんて面白味に欠ける人間なんだろう。 子どものころ目立っ

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