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ブックマーク / yuhka-uno-no-nikki.hatenadiary.jp (3)

  • 本当の安心・安定とは、自己基準で生きるということ - yuhka-unoの日記

    子供を育てる時、はじめのうちは親が子供の前に立ち、手取り足取り教えてあげたり、行き先を決めてあげたりするものなのだろう。しかし、ある時点に来たら、親は子供の後ろに立ち、「大丈夫だよ、ここで見ていてあげるから、やってごらん」と言う必要がある。これは子育てに限らず、教育とは全てそういうものなのかもしれない。 しかし、私の母は後ろに回るということがなかった。不安感が強く、安心と安定を求めた母は、判断を子供に任せたら、子供が最悪の失敗をしてしまうと考えるような人だった。なので母は、終始私の前に立ち続け、誘導という支配をした。皮肉にも母は、その結果として、自ら最悪の失敗を招いてしまった。 子供が失敗することを恐れて、事前にあれこれと手を回すのは、優しいようで優しくない。それは子供に対して、「失敗したら終わり。失敗したら終わり」と言っているようなものだからだ。というよりも、そもそも親自身がそう思い込ん

    本当の安心・安定とは、自己基準で生きるということ - yuhka-unoの日記
  • 私の個人的音楽史と、現代の日本音楽業界について思うこと - yuhka-unoの日記

    私が10代の頃は、安室奈美恵、華原朋美、SPEED、MAX、ポケットビスケッツにブラックビスケッツ、SMAPなどの全盛期だった。しかし、私は実際のところ、あまり流行りの音楽に興味はなかった。学校の友達に「どの歌手が好き?」と聞かれたら、一応「安室奈美恵が好き」などとは言っていたものの、それは単に話を合わせるために言っていただけであって、気で好きなわけではなかった。あの時代の音楽は、友だちと話を合わせるための材料や、カラオケで皆で盛り上がるための材料として機能していたと思う。 インターネットが十分に普及していなかったあの頃は、周囲に音楽通の人がいない限り、接する音楽といえば、学校で習う音楽テレビやラジオで流れてくる流行りの音楽ばかりで、実質そのどちらかしか選択肢がなかった。 なので、10代の頃の私にとっては、たまに良いなと思う音楽もあったものの、全体的にはそのどちらにもたいして興味は持て

    私の個人的音楽史と、現代の日本音楽業界について思うこと - yuhka-unoの日記
  • 頭が良い人になるには、「頭が良い人だと思われたい」という願望を捨てること - yuhka-unoの日記

    「頭が良い人だと思われたい」という願望を強固に持った人ほど、頭の良さから遠ざかってしまうのではないかと思う。「良い親だと思われたい」という願望を強固に持った親ほど、良い親から遠ざかってしまうように。 なぜなら、こういう人は「論理的=格好良い・感情的=格好悪い」という価値観に取り付かれやすく、自分の感情的な面を認められなくなるからだ。「良い親だと思われたい」人ほど、自分の悪い面を認められなくなるように。 「頭が良い人だと思われたい」という願望は、れっきとした感情なのだ。しかし、「論理的=格好良い・感情的=格好悪い」という価値観に取り付かれた人は、この感情を自覚できなくなる。自分の感情的な面はなかったことになり、理屈の下にある自分の感情を掘り起こすより、辻褄を合わせるために正当化の屁理屈ばかりが上手くなってしまう。 「論理的=格好良い・感情的=格好悪い」という価値観に取り付かれた人は、自分の感

    頭が良い人になるには、「頭が良い人だと思われたい」という願望を捨てること - yuhka-unoの日記
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