タグ

2019年4月29日のブックマーク (2件)

  • 俺、一人、風呂場で泣く

    数日前、 100万の仕事を終え、自分でもよく頑張った! ふふん!これなら誇れる! くらい気持ちが高ぶっていた。 そして、 自宅に帰り、一日が過ぎ、 お風呂に入ってゆっくりして、思い返したらものすごい沈んできた。 そもそも、 単発で100万の仕事が入った程度で浮かれる事なのか? 一緒に仕事したクライアント側の人は、数千万の仕事をやってる。 これくらいの仕事を年に何回かこなせないようじゃ、同年代で活躍している人と張り合えない。 自分で言ってて、すごい悲しくなってきた。 あと、その案件を回すために後回しにしてきた仕事が山積みになっている。 それを片付けないと、気持ちが休まらない。 あと、この仕事を発注してきた人は、会社員と個人の仕事を同時にこなしている。 その人に比べたら自分はものすごい下だろうな。 そんなこんなしているうちに、挑戦したいと思っている、通信学習の進捗も遅れてしまう。 会社員に戻り

    俺、一人、風呂場で泣く
    sippo_des
    sippo_des 2019/04/29
    優しい人がいっぱいいる
  • データ分析しても結果は知っていることばかり…「客観性のワナ」

    データ分析は客観的と言われるが当だろうか。来、分析や解釈は主観的であってもおかしなことではない。連載「データ分析のワナ」の1回目は、データ分析は分析者の視点の構築が重要であることを説明する。 「データ分析をしても、知っていた結果しか出てこなかった」 よく聞かれる表現だが、これは当たり前である。そもそも、何かの発見は「気づき」や「想像力」といった個人のひらめきを伴う思考力に頼るところがある。これらによらない計算機を使った分析は、単なる計算処理に他ならない。処理結果を誰もが考えそうな視点(時にそれは「ロジカルシンキング(論理的思考)」などの結果として得られるかもしれないが)で眺めたところで、誰もが考えそうな結果になるのは当たり前である。 データ自体が意味を持つわけではない そもそも、データは「文字や数字、記号等で記録された資料」であり「推論等の基になる事実」である(「広辞林」より)。どのよ

    データ分析しても結果は知っていることばかり…「客観性のワナ」