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ブックマーク / abebetaro.hatenablog.jp (3)

  • 川崎市登戸で起きた事件がとても他人事だと思えなかった - abebetaroの日記

    川崎市の登戸は僕が小学4年生から小学校卒業までを過ごした小田急線の向ヶ丘遊園駅から隣の駅にある駅だ。子供のころはよく遊園駅前の中和ビルの一階にあった江崎書店という屋さんで漫画を買った覚えがあったし、奥に進むと小さなゲームセンター、おもちゃ屋さんがあってその前にミニ四駆を走らせる小さなプラスチック製のコースが用意されていて僕はそこでよくミニ四駆を走らせて遊んだことがある。 昔から多摩区はそんなに犯罪はなく子供が歩くことも気を付ける必要がないくらい平和なところだと当時住んでいたときは感じていた。小学校のときから人の家のものや人のものを盗む人もいたけど暴力沙汰まではなかったと思ってて比較的平和だったと思う。 登戸も今でも施設はあるけれどYMCAの施設が近くにあって登戸に集合して七沢森林公園というところに知らない他の子たちと一緒に一日一緒に過ごしたり一泊三浦海岸あたりに泊ったりといろいろな活動を

    川崎市登戸で起きた事件がとても他人事だと思えなかった - abebetaroの日記
    sirocco
    sirocco 2019/05/30
    金銭、情報、人との繋がりなど格差は広がるばかりです。そんな中で落ちこぼれる事なく生きていくのは大変な事です。私にも落ちこぼれ感はありますし・・・、
  • なぜこの世に生きているのか考えてみた - abebetaroの日記

    こんにちは。 少し前にもツイッターで生と死のことについてツイートしたのだが、それについてブログでまた書きたくなったのでまた書こうと考えています。 なぜ僕らはこの世にいるのかは生物学的には父と母が合体して母親から生まれたというのが正しくて多くの人の認識としてはこれが当たり前だと思っているし僕もそうだと思っています。 僕はアルバイトなので働く日があまり多くないため時間があるためか余計なことを考えてしまうのでふと時間があるときに生と死のことについて考えてしまうんですね。なぜ僕らは生まれてきて死ぬのかという問いは多くの人間がそれぞれの時代に考えてきたことでこれからもずっとその疑問への問いは尽きないことでしょう。 僕が考える生命の生と死は人間を含め動物は生命の器として存在していて生命として存在するためには肉体である器と魂の両者が存在して初めて生きるということなんだと思っています。 何がいいたいかとい

    なぜこの世に生きているのか考えてみた - abebetaroの日記
    sirocco
    sirocco 2018/03/21
    科学は死を解決してくれません。 死の先に天国や極楽があり、恐ることはない。それを解決してくれるのは宗教だけのようです、 哲学者の梅原猛さんが来世はあると考えるようになったと言っていて、驚きました。
  • 打ち明けることが出来なかった僕の悩みPATMを打ち明けます - abebetaroの日記

    みなさんこんにちは。 僕はある悩みを抱えていてこのブログの中で人と関わることができないという話をこれまで何回かしていたと思います。 打ち明けることができるときまで話さないでおきますとも書いていたと思います。 もうその機会がようやく来たので明かしたいと思っています。 僕はPATM(People are allergic to me)という症状に悩んでいて周りの人に咳やくしゃみ、鼻水を出させたり痒みを生じさせるアレルギーのような症状にさせてしまう体質を持っています。 今までこんな話をお医者様に話すと精神科に行かれては?と提案されたり薦められたりしました。ニオイの専門家の方に受診した際にはニオイはない、自臭症ではないかといわれました。たしかにニオイはないのかもしれませんが、自分の体から出ているものが周りの人に咳などの症状を出させていることは日常生活を送っていて明らかでした。 anond.hate

    打ち明けることが出来なかった僕の悩みPATMを打ち明けます - abebetaroの日記
    sirocco
    sirocco 2018/02/02
    何故か周りの人が咳やくしゃみをするようになる。簡単には信じられない話です。早く解明させるといいだすね。
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