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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/mercury_mori (1)

  • 市川市の戦争遺跡3(高射砲陣地、郭沫若の「別須和田」碑、ほか) - 千葉県の戦争遺跡

    1.国分の高射砲陣地 1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件を端緒として日中戦争の火ぶたがきられると、日国内でも軍事への国民生活の動員が一層求められ、同年9月には市川でも軍民共同の防空演習が行われた。また帝都防衛の目的から国府台に高射砲部隊が設置された。国府台に設置された高射砲部隊は、1938年(昭和13年)に柏市根戸に移った高射砲第二連隊であるが、1933年(昭和8年)に騎砲兵連隊が今の習志野市に移った後、空いていた兵舎を使用し、兵器廠の兵器庫などがあった衛戍地を敷地としたもので、後述するように1935年(昭和10年)に土地用途転換の手続きが行われた。 陸軍は、1921年(大正10年)にフランス航空使節団フォール大佐一行に随行したユリカ大尉から七・五糎高射砲四門を使っての実物教育をうけ、翌1922年(大正11年)には高射砲隊の戦時編制が決まり、野戦砲兵学校に二個中隊の高射砲練習隊

    市川市の戦争遺跡3(高射砲陣地、郭沫若の「別須和田」碑、ほか) - 千葉県の戦争遺跡
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