ブックマーク / kfujiiasa.hatenablog.com (43)

  • 江戸時代のヤクザは刀を差してもいいのか? - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    同じ施設に住む方から表題のような「江戸時代のヤクザは刀を差していても問題ないのか?」という質問を受けた。 TVや映画の時代劇では刀を差したヤクザが走り回るが、その刀を咎めるような場面に遭遇したことは全くない。 江戸時代は身分社会であり帯刀は基的に武士身分にのみ許され、大小一組の打刀(うちがたな)と脇差(わきざし)の二差しが義務であり特権でもあった。 庶民が帯刀を許されるのは、村役人などを永年勤めたり領主などに対して多額の献金をしたりして、その功績への褒美として与えられるものがほとんどで、一代限り、嫡子まで、永代、などのランクがあり、私が読み進めている厚狭毛利家代官所日記の中でもこの褒美が下される記録が散見される。 来庶民であるヤクザものが、許されていない刀を差す場面が出てくる背景は、差している刀は一差しの脇差(わきざし)という建前なのである。 庶民は先の褒美による帯刀の他は、旅に出

    江戸時代のヤクザは刀を差してもいいのか? - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
  • 歴史・時代小説の巨星 生誕100年②司馬遼太郎 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    2023年に生誕100年を迎える巨星の二人目は作家・司馬遼太郎さん。 初期の西域ものと言われる「ペルシャの幻術師」などから、直木賞を受賞した「梟の城」を中心にした忍者小説、更に「竜馬がゆく」「燃えよ剣」「坂の上の雲」など男の生き方を描いた歴史小説、その後文明批評とも言える史伝、史論、紀行文、エッセイなど時代と共に作風を変化させいわゆる「司馬史観」を確立させた。 私は自己分析で司馬史観の影響を受けているひとりで、ほとんど全ての著作を読んできた気がするが、初めて出会ったのが中学生の頃1960年代前半なのでちょうど忍者小説から歴史小説の転換期であったと思われる。 その走りである新撰組小説「燃えよ剣」「新撰組血風録」は新撰組ものの原典とも言うべき作家・子母澤寛さんの「新撰組始末記」と共に従来の新撰組や土方歳三に対する見方を大きく変える起爆剤になった。 誠に余談ながら子母澤さんや司馬さんの著作が現れ

    歴史・時代小説の巨星 生誕100年②司馬遼太郎 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
  • 「正岡子規・よもだのエネルギー球」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    文藝春秋の創刊100周年と銘打った新年特大号には101年目の超大型企画として「101人の輝ける日人」と題が付き「日人を感動させ、ワクワクさせた人々の最高にチャーミングな素顔がここにある」とした101人のそれぞれを身近で観た人が101のエッセイを載せている。 その中のひとつが「よもだのエネルギー球」と題して「正岡子規」のことを俳人・夏井いつきさんが書かれていてエネルギー球ような闘志と情熱を燃やし続けた人と評されている。 正岡子規は以前も書いたように作家・司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」や作家・伊集院静さんの「ノボさん」「ミチクサ先生」などで身近な存在になっており最近俳句を勉強し始めたおかげで更に近付いたような気がしている。 一方夏井いつきさんは子規と同じ愛媛県の出身でTVの辛口俳句批評で人気を博している。 子規のことを例えた「よもだ」とは愛媛県の方言(伊予弁)で「いいかげん」「ふざけている

    「正岡子規・よもだのエネルギー球」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
  • 「鎌倉殿VS朝廷・承久の乱の真実」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    文藝春秋の創刊100周年新年特大号はさすがに面白い記事が沢山あるがこれもそのひとつ。 夫婦共に東大史料編纂所教授という歴史家の郷和人氏、郷恵子氏の承久の乱を中心にした対談を取りまとめた表題の「鎌倉殿VS朝廷・承久の乱の真実」である。 承久の乱はNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも物語の最後を飾った京朝廷・後鳥羽上皇と鎌倉・北条義時の争いで鎌倉方の圧倒的な勝利で以後の武士の世を決定つけた。 この対談で私が個人的に面白いと感じた視点が幾つかあり以下に書き留めておきたい。 ①北条氏は天皇を指名出来るほどの権力者になりながら将軍に「ならなかった」、「なれなかった」のではない。あえて朝廷の官位という序列の外に自分を置くことで、自分は地元関東の仲間達に認められた東国武士団の代表であると御家人達にアピールする狙いがあった。 ②承久の乱の勃発を告げる朝廷からの「官宣旨(かんせんじ)」や「院宣(いんぜ

    「鎌倉殿VS朝廷・承久の乱の真実」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
  • 娘と孫の訪問 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    正月明けに娘と孫が訪ねてきた。 孫の方は正月休みに実家に帰り下宿先の大阪に戻る途中母親と一緒に立ち寄ったもので今年の卒業就職が決まっており激励する機会が出来て嬉しい。 娘の方はこちらに一泊し、家内を含めて3人で大阪八尾へ墓参りと東大阪の石切(いしきり)神社へ参拝に出かけてきた。 否応なしに引っ越し前の住所を通ることになるが永年住んだところだけに多少の感慨がある。 娘のお土産は「蒜山(ひるぜん)高原・蒜山ジャジーヨーグルト」、「白桃とチーズのおかやまラング・ド・シャ」それに倉敷の和菓子「むらすゞめ」何れも岡山の名物で一緒に美味しくいただいた。 「むらすゞめ」はクレープのように薄く焼いた外皮で小豆粒餡をくるんだものでコーヒーにもお茶にも合いとても美味しい。 天領・倉敷は米の集散地で米の出来が生活に直結しているため、お盆にはい草で編んだ笠をかぶり豊作を祈って豊年踊りを行った。 その踊る姿が群がる

    娘と孫の訪問 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
  • 平成の天皇皇后両陛下大いに語る - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    雑誌・文藝春秋は作家・菊池寛が創刊して今年で100周年を迎えるらしく通常の1.5倍のボリュームで新年特大号が発行されている。 記念の号らしく充実した中身になっているが、そのトップ飾っているのが「平成の天皇皇后両陛下大いに語る」という昭和史家・保阪正康さんの記事で、保坂さんが作家・半藤一利さんなどと共に前後6回皇居を訪問し両陛下と懇談された内容をまとめたものである。 今回の記事はテーマ別にまとめられ数十年後に書かれる「実録」のための資料にも役立つようにとの意図も感じられる。今号では訪問することになった経緯や日常のこと、戦後の生活といったことと併せ昭和史の内「満州事変」が主要な話題のひとつとして挙げられている。 Q:天皇陛下の質問内容   A:半藤、保坂両氏の答え Q:満州事変についてはどう考えていますか。 A:結局のところその後の日中全面戦争のきっかけであるとして、関東軍が仕掛けた謀略との事

    平成の天皇皇后両陛下大いに語る - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
  • ウイーン・フィル ニューイヤーコンサート2023 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    昨年末ベートーベンの第九交響曲演奏会のチケットを頂き聴きに出かけてから、自分のカラオケ昭和歌謡主体の音楽に対し多少の反省もあり、また同級生からクラッシックの曲紹介LINEを頂いたことで、最近時間があるときYouTubeで時折クラシック曲を聴くようにしている。 そんな折り年末年始のTV番組表を見ると元日にウィーン・フィル  ニューイヤーコンサート2023という特別番組が放送されることを知り録画して鑑賞することが出来た。 説明を聞くとこのコンサートは例年年始の恒例で世界的な行事になっているらしい。 指揮がオーストリア人フランツ・ウェルザー・メスト、もとより私は全く初めてだが世界的な指揮者のひとりらしい。 プログラムは2拍子のポルカ、4分の3拍子のワルツといったダンス曲中心の小品14曲でこれらの大部分がヨハン・シュトラウスのファミリーによる作曲のものとの事であった。 (これらの中にはポルカ・フラ

    ウイーン・フィル ニューイヤーコンサート2023 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
  • 2023年1月句会 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    昨日3日は2023年初の1月句会で施設のメンバー11人の参加があった。私はこのブログに日頃から書いてきたもののなかから以下の5句を出した。 ①大根の首高くして這い出たり ②爽やかに働く少女年の暮れ ③林道に木洩れ日仄(ほの)か苔寒く ④煤(すす)逃げし山より見ゆる吾が住まい ⑤家移りも変わらぬ仕草去年(こぞ)今年 今回は残念ながら特選句の対象にはならなかったが、③と⑤の句については各々2人の方から選句対象にして貰った。 ②の句で爽やかは秋の季語で年の暮れと併せ違う季節の季語が重なっているとの指摘を受けたが爽やかが秋の季語とは全く気付かなかった。 爽やかはどんな季節や場面にも当てはまると思うのだが俳句のルールもなかなか難しい。施設内に掲示して貰う自選句3句は⑤、③、①とした。 私が特選句に挙げさせて貰った句は 【黒き眼で 朝餉(あさげ)(は)む牛 息白し】 子供の頃牛を飼っていたが、まさに

    2023年1月句会 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
  • 厚狭毛利家代官所日記㊻慶応元年④戦争準備 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    慶応元年(1865)は長州藩が幕府の大軍を迎え興廃を掛けて戦う四境戦争(第二次長州征伐)の年であり、4月に幕府は諸大名に動員令を発した。その後実際に幕府が長州に攻撃をかけるのが翌慶応2年6月であり、この一年強を長州藩は軍制改革、軍備増強に邁進する。 代官所日記の閏5月~8月にも藩の指示を受けその対応に関する記述が急激に増えてくる。(多数の記述を要約する) ①(兵糧米として使うため)米の売り出し、積み出しを禁じ領内の有徳人(うとくじん・金持ち)に積極的に他国米を買い入れるよう奨励する。無断で売り払った者は速やかに斬首、売り出し積み出しを速やかに届け出た者には褒美としてその分の5分(%)を与える。 この禁令に関して色々な禁制破りの問題事例が頻発していることが記録され、代官所はこの対応に追われている。 ②松明(たいまつ)やわらじなどの準備も指示される。 ③軍資金調達のため御立山(おたてやま・藩有

    厚狭毛利家代官所日記㊻慶応元年④戦争準備 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
  • いろはもみじの定点観測結果 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    初めての機会なので以前ブログに書いたプラタナスと併せ、いつも歩く健康公園のいろはもみじの一を定点観測して、紅葉がどの様に変化するのか勉強しようと思った。 10月6日 10月16日 10月26日 11月7日 11月18日 12月7日 12月10日 12月14日 12月19日 12月22日 12月25日 🔘10月11月のイキイキした華やかさの後、12月に入ると可哀そうになるくらい急速に衰え散っていく様を目の当たりに観察すると、生物皆が同じように転変していくような気がして、外気の寒さと比例して気持ちまで寒々としてくる。 🔘このブログで紅葉は気温と共に太陽光が関係していることを書いたが、紅葉の遅い箇所は余り紅くならない少し黄色味を残した状態で比較的ゆっくり散っていく事も分かった。 【囃されて 散るぞ寂しき 冬もみじ】 🔘1週間前には無かったような気がするが、施設の庭の目立たない2ヶ所に人知

    いろはもみじの定点観測結果 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
  • 「杏の気分ほろほろ」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    モデルで女優の杏さんが書いた「杏の気分ほろほろ」朝日新聞出版刊 を図書館で借り出し読み終わった。 多分今年の1月1日にこのブログに載せた「杏のふむふむ」の姉妹版といえるものだろう。 まず題の「ほろほろ」という意味が今少しわからないが、の最後に、 『ーーーそうして循環していく人生を歩んでいけたらと思う。そんな日々を、また書き記してみたいとも思う。これからの日々、ほろほろと柔らかく積もって、また形になりますように』 とあり、どうやら日々の生活のことを表現しているようだが、わかったような、わからないような。 この中の一章に「北条政子との一期一会」があり以前杏さんが大河ドラマ「平清盛」で北条政子を演じた事のアレコレが書かれているがその最後が、 『もし、また政子を演じられるなら、その時はもう少し年を重ねて尼将軍となって、承久(じょうきゅう)の乱』の演説をやってみたいものだ。』 とあり、さすが歴女の

    「杏の気分ほろほろ」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
  • 「1台の荷車には1個だけ荷物を」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    最近施設の俳句サークルに入れてもらい、素人の悲しさを味わいつつ少しでも多く詠んでみようと四苦八苦している。 入門書を読むと初心者が先ず守らなければいけないことは ・五・七・五 ・季語を入れる の二つであり、あとは作りながら習得すればいいように書かれている。 ここまで試行錯誤してきたなかで一番感じることは、とにかく「どう言葉を捨てるか」「どう言葉を短くするか」に尽きるような気がしている。 今まで生活してきた日語の世界で、永年修得した文章作法をもとに自分が見聞したことや感じたことを17文字におさめようとすると、どうしても字数が余ってしまう。 余分な言葉を思い切って削り、捨てる、これが意外に難しい。これを削ると自分が感じていることが伝わらないのではとついつい躊躇してしまう。 若い頃からお世話になった作家・司馬遼太郎さんの全集を少しずつ読み直しているなかで、初めて出会う短いエッセイ「私の文章作法

    「1台の荷車には1個だけ荷物を」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
  • 四境戦争に対応した長州藩の軍制改革と厚狭① - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    9月20日のこのブログで、第二次長州征伐(四境戦争)に向け元治2年=慶応元年(1865)長州藩内で「防長御一和・武備恭順」の藩論統一が成ったことを書いた。 同年4月19日幕府は第二次長州征伐の軍令を発し諸藩へ軍事動員を行った。しかし実際に幕府軍が長州藩へ攻撃開始するのは翌年の6月からでその間幕府軍主要部隊は諸事情により大阪で足止め状況にあった。 この約一年間が長州藩が幕府大軍との直接対決に向けて急ピッチでその軍制改革を成し遂げる貴重な時間になった。(逆に言えば幕府は一年間を無為に成したことで自ら勝機を逃した) この軍制改革を実質的に指揮したのが木戸孝允(桂小五郎)と大村益次郎(村田蔵六)である。 藩内の村医者出身の大村は適塾の塾頭を勤めたこともある洋学の先駆者の一人で、彼を長州藩に招いた一人が木戸で二人の友情は終生続いた。 これは政治を志向する木戸と軍事を志向する大村という分担とバランスが

    四境戦争に対応した長州藩の軍制改革と厚狭① - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
  • 「日本への警告」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    一昨日の日経新聞一面に、長い目でみた国力の指標であるドル建てGDPで、2012年にドイツに比べ8割大きかったものが昨今の円安もあり足元で並びつつあるというショッキングな記事が出ていた。 そんな中読み終えたジム・ロジャーズ著「日への警告」講談社プラスアルファ新書は見方によっては更にうすら寒さを感じさせられるところがある。 著者は高名な日通と呼ばれる投資家で自分の娘にこれから生きていく上で大切だと考える中国語を学ばせるためにシンガポールに移住して投資活動をしていることで知られている。 また最近も、このままいくと20年後には日は消滅するとその著書に書いて物議をかもしている。 その論拠はこの「日への警告」で書かれていることと同じて以下の2項目の改善の道筋が見えないことを指摘している。 ①出生率の低下・少子化 ②長期債務残高・国の借金の増加 私も全く同感ながら、①の出生率の方は一人当たりの国

    「日本への警告」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
  • 映画「椿の庭」と富司純子さん - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    住んでいる施設のミニ映画会で2020年の日映画「椿の庭」を鑑賞した。 とにかく今まで私の観てきた日映画の類型にあてはまらない不思議な映画である。 脚監督は私が初めて出逢う上田義彦さん、広告も手掛ける写真家とのことで、植物や小動物などの細部にわたる映像が多用され類型に嵌まらないのは監督が写真家であることに依るのかもしれない。 ストーリーはネタバレにならないように最小限にするが、 夫を亡くした老齢の絹子(富司純子さん)が、椿などが丁寧に手入れされた庭のある海の見える古民家で、孫の渚(シム・ウンギョンさん)と暮らしている。 夫の相続税対策で住み慣れた家を手放さざるを得なくなり、自分の後始末心配りをして最期を迎える。 次女が陶子(鈴木京香さん)、長女は駆け落ちして海外へ行き事故死、残されたのが渚で、家族の行き違いが暮らしの中で少しずつ解きほぐされ、互いの思い遣りが理解されていき絹子の死を支え

    映画「椿の庭」と富司純子さん - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
  • 長州藩の危機・内戦処理に於ける支藩の動き - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    長州・萩藩公称37万石には長府藩5万石、徳山藩4万石、清末藩1万石、の支藩と別家として岩国を領する吉川家6万石、の4家があった。 (支藩は藩が幕府に願い出て承認されて成立するが、岩国吉川家は関ヶ原敗戦の遺恨から萩藩が幕府への願いをしないまま経過した特殊な事例) 支藩は萩毛利家の親族であり、萩藩を構成すると共に藩として徳川家の家臣という立場も有している。 また萩の藩に世嗣ぎがいない場合長府藩、徳山藩から人が出て萩藩を継いだ。 あまり世間に知られていない長州藩内支藩の動きを幕末の危機時を例にして書いておきたい。 幕末元治元年(1864)12月15日高杉晋作の下関「決起」をきっかけに始まった長州萩藩の行方を左右する内(訌)戦は、「大田・絵堂の戦い」で正義派を自称する奇兵隊など諸隊側が俗論派と呼ばれた守旧政府軍を圧倒した。 この局面ではまだ藩論統一には程遠い状況であったがこれ以降「防長御一和」

    長州藩の危機・内戦処理に於ける支藩の動き - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
  • 「播州の国」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    旧播磨国である神戸市の西の端に住むようになり、この地域の歴史などにも興味を持ち初めている。 作家・司馬遼太郎さんの数代前の先祖は播磨国の出身であることは黒田官兵衛が主人公の作品「播磨灘物語」のなかにも書かれていたが、その司馬さんに 「播州の国」という誠に短いエッセイがあり全集でようやく探すことが出来る。 現在の兵庫県三木市に拠を構えていた別所氏の三木籠城戦にまつわる話である。 余談だが現在の三木市は金物の街として全国に有名だが、これは三木籠城戦で荒廃した街を建て直すべく勝者の羽柴秀吉が全国から大工などの職人を集めた際に大工道具を作る職人も集まりこれが核になって発展した歴史がある。 この籠城戦は願寺や毛利氏の支援を当て込んで別所氏が織田信長、羽柴秀吉に反旗を翻したことが発端だが、三木の干殺し(ひごろし)といわれる織田軍の封鎖で2年にわたる籠城の後、城主・別所長治の切腹で開城した。 司馬さ

    「播州の国」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
  • 長登(ながのぼり)銅山跡と奈良の大仏 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    最近このブログでは、長い間追跡している厚狭毛利家が長州藩の内戦いわゆる大田・絵堂の戦いで負け組になった処まで書いてきた。 ちょうどこのとき、山口県在住の同級生から美祢市美東町にある大田・絵堂戦跡に行ってきたとの便りがあり同じ美東町にある長登銅山跡地にも寄ったとのことで写真を送ってもらった。 この長登銅山は、昭和63年(1988)の東大寺発掘調査で、銅の成分分析から奈良の大仏創建時の原料銅の産地であることが実証されている。 この地はカルスト台地・秋吉台の近く東南部に位置し、古くから「奈良の都に銅を送ったので奈良登りがなまって長登になった」という言い伝えがありいわば伝説が現実となった事になる。 平安時代に編纂された歴史書「日三代実録」にみえる「長門国採銅所」に比定され銅銭の材料にも使われた。 遺跡は平成に入って調査が進み、採鉱から精錬まで一貫したシステムの運用がされた国営銅山であることが分か

    長登(ながのぼり)銅山跡と奈良の大仏 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
  • 垂水漁港と食堂 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    神戸市垂水区に引っ越して朝ベランダから海を見ると、真南に当たる淡路島の東側海域にいつも漁船の姿が遠く白い点々のごとく見えている。 有名な明石漁港からは東に寄り過ぎているのでこれはきっと最短距離にある垂水漁港からの船だろうと思っていた。 そんな折、施設に入居の方から漁港に併設の堂を紹介され漁港見学も兼ねて出掛けて来た。 施設からは車で十数分の距離であっという間に到着、街と港や海が近い神戸の地勢を実感した。 垂水漁港は養殖した海苔、キビナゴ、しらす、近海魚などの水揚げ港で漁協の直売所も併設されている。 鮮魚の特売は特定日で今回は残念ながら出会えず。 引っ越し後この地域を知る第一歩になったような気がする。 【漁港には  秋の磯香(いそか)と  刺身盛り】 ・2Fに堂も入り競り場もある水産会館 ・刺身定5種盛り、全て兵庫県内で水揚げされたものとのことで新鮮で美味しい。平日だったが12時前だっ

    垂水漁港と食堂 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
  • 長州藩士・長井雅楽(ながいうた)/中秋の名月 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    幕末維新の激動のなかで滅亡の縁にも立たされた長州藩には非業の死を遂げた有為な士が多く出た。 あまり世間には知られていないが、藩士の中核である大組(おおくみ)士の出自であった長井雅楽もその一人で、その才を多くから嘱望されながら政治的な立ち位置から死を迎えることになった。 安政5年(1858)藩主毛利敬親の信任厚く、直目付(じきめつけ)という要職に就く。 文久元年(1861)当時国内で外交政策に関して政治対立が激しくなるなか、藩主の求めに応じその政策「航海遠略策(こうかいえんりゃくさく)」を建白し当時の藩論とされ中老職に抜擢。 更には幕府老中、朝廷にも周旋しいわば国論として認められた。 「航海遠略策」の骨子は次の通りである。 『鎖国攘夷は日歴史からみても異端であり世界の現実とも適合しない。 日はすすんで開国し、世界を圧するような商船隊を作って交易し得た富で武力を蓄えそれによって国家を守る

    長州藩士・長井雅楽(ながいうた)/中秋の名月 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録