ブックマーク / apesnotmonkeys.hatenablog.com (3)

  • 例証乙 - apesnotmonkeysの日記

    何万、何十万という人間の死にこの社会が負っている責任を意にも介さないような「国民の正義感情」が死刑制度を支える論拠足りうるのか? を問題にしたエントリに対して、ブクマなりコメント欄なりで文句つけに来た人間の中に、ただの一人も、たとえただのエクスキューズとしてであれ、「いや確かに小泉の責任が追及されてないことは問題ですが」とか「名古屋市民ですがリコールが成立したら河村たかしには入れません」とか「ブッシュは平和に対する罪で訴追されるべきですが、それでも死刑にすべきでないと思いますか?」とか言ってみせた人間がいなかった、というのは極めて興味深いね。 追記 オレ、ちゃんとこう書いておいたんだけどな。 こういう境地に達するうえで、南京事件否定論者の言動をフォローして来たことは大いに関係しています。「捕虜を殺したのは正当である」と主張するために様々な詭弁を弄する人々を見ていると、そうした主張に対して国

    例証乙 - apesnotmonkeysの日記
    skeleton-lair
    skeleton-lair 2010/11/06
    「人は人を殺してはいけない」また「人は人を許してはいけない」。殺さず許さずの境地は地獄に続く気がするなあ。/「人を殺してはいけない」ルートだと「それでも殺さない/殺すな」 と言えないので別ルート希望。
  • 私はいかにして死刑廃止の論拠について心配するのを止めたか - apesnotmonkeysの日記

    私も以前は「なぜ死刑を廃止すべきか」の論拠をどう表現するかいろいろと考えたものですが、最近は実にシンプルな主張に落ち着きました。「殺すな、という主張に根拠は要らない」です。 こういう境地に達するうえで、南京事件否定論者の言動をフォローして来たことは大いに関係しています。「捕虜を殺したのは正当である」と主張するために様々な詭弁を弄する人々を見ていると、そうした主張に対して国際法やら当時の軍事的情勢やらを引き合いに出して「いや、あの捕虜を殺すのは不当だった」と反論するのは実は間違っているのではないか、とすら思えてきますから。 死刑存置論はしばしば「国民の正義感情」を論拠にしますが、しかしこの「正義感情」たるや、被害者の数が膨大で“顔が見えなくなる”とかえって被害者への関心を失ってしまうようなシロモノです。だって、9割近くが死刑を支持するその社会で、万の単位で被害者のいる大虐殺を否定するために詭

    私はいかにして死刑廃止の論拠について心配するのを止めたか - apesnotmonkeysの日記
    skeleton-lair
    skeleton-lair 2010/11/04
    単純に多くの人にとって他人の死が「どうでもいいもの」でないのが不思議。俺にとっては結構「どうでもいいもの」なので。/しかし死刑賛成派にとっても「殺すな」の帰結としてその立場があると思うんですけど。
  • 「俺には○○の友人が」メソッド - apesnotmonkeysの日記

    「俺には○○の友達も△△の友達もいる、だから……」っていっても、その○○や△△(というカテゴリーに属する人びと)が丼投げつけられたりヘイトスピーチ丸出しの街宣かけられていることに怒らないんだったら、あんたにはその○○や△△の友達はいないんだよ。

    「俺には○○の友人が」メソッド - apesnotmonkeysの日記
    skeleton-lair
    skeleton-lair 2010/09/23
    あらゆる不正に怒るべきというのなら類人猿の人は表現規制賛成派ってことにならね?表現の自由(キリッとか言ってんだから。規制反対派に迎合しないなら貴方に反対するべき規制は無いってことに。
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