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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (39)

  • 誰もが表現者になれる時代はとっくに終わってるんだよ - シロクマの屑籠

    今回の内容は、以前にも誰かが書いていたかもしれない。でもこれから私が書くことを一字一句違わず書いた人はいないはずだから、誰かに届くかもと期待しながら記してみる。 インターネットの普及期と現在を比較して、違っているところを挙げるとしたら何が挙がるだろう? アングラ感の強弱。インターネットの多数派がどんな人なのか。コミュニケーションの主な手段がウェブサイトかブログかSNSか動画か。挙げれば色々ある。 今日、まとめたいのは「誰もが表現者になれる時代の終わり」についてだ。 インターネットではさまざまな新しいネットサービスが流行っては廃れを繰り返してきた。そして共通点がある。どのサービスでも、流行期には「誰もが表現者になれる」という夢が薄らぼんやりと漂い、それに釣られて集まってくる人々がいた。 90年代から00年代のはじめはウェブサイトの時代だった。この頃インターネットをはじめたアーリーアダプターた

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    sky-graph 2023/09/04
  • 40代になってからも限界はみえない。それでもできることは減っている。 - シロクマの屑籠

    2023年度のGWも終わって、何というでないけれどもくたびれている。このままギアを落とさず5月をやっていくのかーと思うと気分が晴れない。五月病など、あってはならないことだ。 仕事と原稿と家庭に忙殺される日々を振り返って、思う。ああ、すごくできることが増えたけれども、すごくできることが減ったなぁ、と。以下に書くことがすべての中年に当てはまるとは、私も思っちゃいない。けれども私のようなパターンにはまる中年もいるはずだし、そういう人には刺さるかなと思って、四十代後半になった一人の人間の成長と限界について書き置きしておく。 「中年の成長の限界」の予想と現実 私は昔から成長の限界について考えるくせがあって、もう20代の頃から自分の限界はどこなのか、もし限界が来るとしたらどう身を処すべきか意識してきた。不安だったのだろう。というか今でもまあまあ不安だ。 そうして20~30代の頃に想像していた「中年の限

    40代になってからも限界はみえない。それでもできることは減っている。 - シロクマの屑籠
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    sky-graph 2023/05/12
  • もうスポーツ選手や動画配信者は"野良犬のヒーロー"ではない - シロクマの屑籠

    大谷選手やボクシング井上選手など、最近の若手スーパーヒーローはみんな遊ばずに品行方正なのは世界のスポーツや格闘技のレベルが上がりすぎてその世界で圧倒的なチャンプで居続けるには遊んでたり横見たちに逸れる余裕がなくなってるだけな気がしてる。サボってるとすぐに追い越されてしまう時代。— ポンデべッキオ (@pondebekkio) 2023年3月9日 WBCが開催され、大谷翔平選手が出場していたりする中、上掲のようなツイートを見かけた。いや、当に。スポーツ選手は品行方正になり、長く活躍する選手はフィジカルやメンタルの管理に余念がなく、「遊び」にうつつを抜かしているようにはみえない。発言、という点でもそうだろう。舌禍は一流選手にあってはならない。「口は悪いが腕は良い」などということが、今日日、どこまであり得るだろうか。 過去を振り返ってみれば、スポーツはもっと行儀の悪いもので「遊び」を多々含むも

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    sky-graph 2023/03/11
  • ある研修医が見た就職氷河期の記憶 - シロクマの屑籠

    芽吹いてきた新緑を眺めていて、ふと、昔話がしたくなった。 別に珍しい話ではない。 一人の研修医から見た、就職氷河期当時の思い出話についてだ。 1. 私が研修医になる前から、それは始まりかけていた。私は医学部にこもりっきりなのが性に合わなくて、他学部の学生がたむろしている場所に好んで出入りしていた。そこで出会った他学部の先輩たちが「就職活動が大変だよ」と言っているのを耳にしたりもしていた。とはいえ1994年度、1995年度に卒業した他学部の先輩がたの就職先はなかなかのものだった。ゲームと登山に熱狂して留年しまくっていた先輩が、大手自動車メーカーに入社できた話を聞いた時はびっくりした。あのゲームばかりやって山ばかり登っている先輩ですら大手自動車メーカーに入社できる。そういう希望があった。 1996年。1997年。 この頃から様子がおかしくなってきた。私と同学年に相当する彼らは就職活動に苦戦して

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    sky-graph 2021/05/24
  • スーパーカブ、頭文字D、ゆるキャン△、それぞれが描いた景色 - シロクマの屑籠

    supercub-anime.com 先日、アニメ『スーパーカブ』を見始めて、描かれている景色にガツンとやられた。物語が進展していくうちに少し和らいだと思いかけたけれども、修学旅行編を見るにつけても、いやいや、やっぱり『スーパーカブ』は2021年のある側面を上手にデフォルメした作品だと思い直した。 滋味深い作品が描く、富が失われたロードサイドの今 アニメ『スーパーカブ』の美質・美点はたくさんあって、たとえばバイクの駆動音、好ましい脇役たち、滲んだようでクッキリとした描画などは、視聴すればするほど好きになっていった。この作品の風景の切り取り方が、今は楽しみでしようがない。 もとより主人公の小熊が女子高校生だったり、ご都合主義的なデフォルメがついてまわる作品ではある。でも、それで否定しまったらあの作品もこの作品も否定しなければならないわけで、そこで減点するのはナシだろう。 『スーパーカブ』の主

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    sky-graph 2021/05/24
  • 「養分」「情弱」が正当化される社会とは、一体何なのか - シロクマの屑籠

    ※この文章にはヤマもオチもイミもありません。まとまりのある文章をお望みでしたら、回れ右です。 FGOに400万課金した女が思うこと 課金してるやつには何を言っても無駄 クリスマスイブ~今日にかけて、はてな匿名ダイアリーに、ソーシャルゲームに大金をつぎ込んでしまった話が相次いで投稿された。ひどい課金もあったもんだねぇ……と思いつつも、お天道様はそれでも課金を許しているじゃないか、それに、位置情報ゲームのために何十万円何百万円つぎ込む人や、ホストクラブやキャバクラに蕩尽する人だって似たようなものじゃないか、などとぼんやりと考えているうちに日経平均がどんどん下がっていった。 そんな折、ふとtwitterを眺めていたら「養分」という言葉が目に飛び込んできた。 コントロールが出来ている範囲のプレイヤーとのみ関係を持ちたいが、ゲームシーン自体が養分が居ないと保たない構造であり、養分との接触が不可避にな

    「養分」「情弱」が正当化される社会とは、一体何なのか - シロクマの屑籠
  • アタマが良くてマーケットがわかる人しか稼げない社会は「要らない」。 - シロクマの屑籠

    以下のリンク先記事は、現状分析としては間違っておらず、実際、仕事への要求水準は高くなっているのだろう。 人手不足なのに給料が上がらないのは、経営者の強欲のせいではなく、仕事に要求される能力が高くなったから。 ですから現在の状況を単純に言えば、 1.事務職の消滅とともに、「普通の人」が遂行できて、「それなりのお金がもらえる」職場は消滅してしまった。 2.今は「低賃金・肉体労働」の仕事に就くか、専門家として「知識労働」に従事するか、その2つしか選択肢がない ということになります。 日だけでなく、欧米諸国でも「普通の人」が働いて「それなりのお金がもらえる」職場は少なくなっている。低賃金の肉体労働や単純労働に従事するか、高度なスキルを必要とする知識労働にジャンプアップするか、そのどちらかを迫られがちな世相なのは、そのとおりなのだろう。 加えて、リンク先ではマーケティングセンスの重要性も指摘されて

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    sky-graph 2018/11/30
  • 高学歴者ほど「若者」から「大人」に変わるタイミングが難しい - シロクマの屑籠

    ・高学歴の人は就学期間が長く、仕事のキャリアアップも結婚も、後々まで定まりにくい。ゆえに、「若者」的なメンタリティから「大人」的なメンタリティにもっていくための猶予期間が短く、難易度が高い。 高卒~高専卒のクラスメートは、すぐに「大人」になった 私は北陸地方の田舎出身なので、都市部よりもずっと進学率が低い中学校を卒業した。クラスメートのうち、大学進学した者は3割もいなかったのではないだろうか。高卒の割合がとても高く、中卒で働く者もいたと記憶している。 中学校を卒業した後も、実業高校や高専に入ったクラスメートとの付き合いは続いていた。ゲームPC漫画やアニメについての情報交換もたくさんやった。受験勉強に追われるか否かという違いはあったものの、それ以外はだいたい同じようなものだと感じていた。 ところが、高校や高専を卒業するや、彼らは急激に変わっていった。 いまだ大学に通う私をよそに、彼らは急

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  • 子どものYouTuberを見ていると不安になる - シロクマの屑籠

    blogos.com リンク先は、行動をエスカレートさせるYouTuberを「仕事」をキーワードに考察したものだ。 私はYouTuberの行動原理は、金銭と承認欲求の両方に由来している場合が多いとみているので、「仕事」だけに注目するのは片手落ち、と感じる。それと、リンク先の文章は、「仕事」に対する捉え方がやけにネガティブだ。 そして世の中には仕事のためなら、何をしても平気だという人が、数多く存在するのである。 それは決して良いとか悪いとかではなく、仕事というものはそういうものである。 例えば、軍隊で働く兵士。彼らはともすれば他人を殺すことすらある。ときには非人間性が糾弾されることもあるが、しかし彼らは誇りを持って仕事をしている。 (中略) 例えば、会社員。例えや子供を愛していても、楽しみにしていた遊園地の日に、取引先から呼び出されれば出勤せざるを得ない。 もう一度言うが、これらは決して良

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    sky-graph 2017/01/10
    関係ない話になるけど、Youtubeは動画閲覧UIとしても優れているので、その点だけをローカル完結で利用したい気がする
  • 「よく発達した発達障害」の話 - シロクマの屑籠

    ここ十年ぐらいで「発達障害」という言葉はすっかり普及し、そのせいもあってか、外来で「自分が発達障害かどうか調べて欲しい」という相談を受けることも増えた。 精神医療のフォーマルな窓口で発達障害と診断される人の大多数は、社会で生きていくことに困難を感じているか、周囲との摩擦を感じている。そりゃそうだろう、なんらかの事情がない限り、人はわざわざ病院を受診したりはしない。 社会に溶け込んでいる「発達障害と診断され得る」人々 発達障害という名称が世間に広まると同時に、精神科医が発達障害と診断する頻度もだいぶ増えた。過去に他の病名をつけられていた人に正しい病名をつけられるようになったわけだから、これは「進歩」と言って良いのだろう。 そうやって、ちょっと前なら異なる病名をつけられていたであろう人々を発達障害と診断する状況になって、気づいたことがある。それは、「病院で発達障害と診断する基準に当てはまるよう

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    sky-graph 2016/10/18
  • アニメは現実を侵食したりはしない。理想を、願望を、浸食する - シロクマの屑籠

    「ウェイ」や「ウェーイ」を揶揄したり嫌悪したりしているくせに、アニメを見ている時には群れて騒ぐキャラクター達を喜んでみている人達は、知らぬ間に自分自身の思い描く理想のかたちが「ウェイ」「ウェーイ」に寄っていっている可能性を忘れてしまっている— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) February 19, 2016 「二次元と三次元は区別できます」ええ、そうでしょうとも。でも、架空のコンテンツが浸するのは現実検討識の領域ではなく、思い描く理想や願いの領域ではないでしょうか。アニメやゲームの描写と現実を区別できる人でも、アニメやゲームにあるべき理想像を浸されている人は結構多いのでは?— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) February 19, 2016 世の中には、アニメやゲームの影響を過大評価する人がいる。曰く、「ア

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    sky-graph 2016/06/15
  • 20世紀後半の結婚観と若者気分って“異常”だったよね - シロクマの屑籠

    もしかして少子化問題って10年後には解決してるんじゃないの?非婚が進む30代と早婚志向な20代の溝 - トイアンナのぐだぐだ リンク先を読んで、「ああ、結婚に対して呑気に構えていた、バブル~ロスジェネ世代の結婚観や若者気分がデタラメだったんだなー」と改めて痛感した。と同時に、それらが過去の遺物になりつつあるのは、さしあたって良いことだとも思った。 『東京タラレバ娘』5巻には、まだ若かった頃の主人公達が「あと5年は遊びたい!」と話すシーンがあるが、リンク先のトイアンナさんは、これは現在の二十代から共感されないと解説している。 東京タラレバ娘(5) (Kissコミックス) 作者: 東村アキコ出版社/メーカー: 講談社発売日: 2016/05/13メディア: Kindle版この商品を含むブログ (5件) を見る この、「あと5年遊びたい」「結婚を遅らせて自由な時間を楽しみたい」、実際、私が二十代

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  • 「炎上政治」と“脊髄反射” - シロクマの屑籠

    少し前、はてな匿名ダイアリーに書き込まれた「保育園落ちた日死ね」という文章が話題になった。 anond.hatelabo.jp この匿名文章は国会で言及され、一部議員の対応がまずかったことも手伝って政治に影響を与える雰囲気をつくりだしてしまった。もちろん待機児童問題は切実だが、匿名文章を着火点としてネット世論が沸騰し、こうやって国会答弁に拾い上げられて影響力を持ってしまうプロセスはいかがなものなのか。 世論が国政に影響を与えること自体、あっても構わない。しかし、世論と国政とを結びつけるプロセスがショートカット化し、「ネット上の匿名文章をシェアやリツイートで拡散した代物」が世論の面構えをして国政に影響を与えるさまは、熱しやすく冷めやすいネット世論の性質を考慮すると気持ちの良いものではない。 オリンピックのロゴ問題の時にも、私は「インターネットの暗い情念が世論になってしまうのが心配」と書いた

    「炎上政治」と“脊髄反射” - シロクマの屑籠
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    sky-graph 2016/03/24
    脊髄反射的な社会に向かう危惧/保育園落ちた増田の件は多くの共感を得る素地があったが、炎上政治が確立してしまうと確かに怖い
  • (株)はてなオフィスで、はてな村オンラインの実績解除してきました - シロクマの屑籠

    今年、 (株)はてな とご縁のある執筆オペレーションが何度かあって、それが呼び水になって (株)はてな のオフィスにお邪魔する機会を得ました。 はてなのオフィスは形而上の概念ではなく、実在していました。このインテリアは合成画像じゃなかったんですね。こちらのお部屋で、飲んだら実績解除の音がするといわれる幻の飲料・“はてなのお茶”を頂きました。 ご一緒した(株)はてなのスタッフさんは皆さん十人十色でしたが、企業戦士としてバッチリ適応をキメている感があって、おお、これぞ社会適応であるなぁ、と感服いたしました。不躾な質問をしてしまったような気もしましたが(どうもすみません)、皆さん、そういう時も泰然自若としていてソツがありません。うおー、スゲェ訓練されている!! 患者さんとお話する時もそうだし、オフ会で誰かと会う時もそうですが、こうやって、社会適応のエレガントなかたちをみるとワクワクしてきちゃいま

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  • 「今のままがいい」を、時間が引きずっていく - シロクマの屑籠

    生活レベルを維持するため「普通の男性」と結婚するのが高望み扱いになった世界で、私たちができること - 外資系OLのぐだぐだ リンク先は「普通の男性と結婚したい」と考えている女性についての記事だ。 説得力のある内容だと思った。 それはそうとして、 やや大げさに書いたが、きちんと勉強して就職した女性ほど結婚において焦りが少ないのは見聞きした事実だ。婚活は受験勉強と似ていて「今のままがいい」と思っている限り、成果は上がらない。「このままじゃヤバイ」と思った人が予備校の門を叩き、参考書を開いて駆け上っていくのである。 http://toianna.hatenablog.com/entry/2015/12/21/193350 たとえば上記のフレーズなどは、男性にも社会適応全般にもあてはまるのではないか。 「今のままがいい」は難しい 私は、「良い境遇」を過ごしている人達を恨めしく思いながら生きてきた。

    「今のままがいい」を、時間が引きずっていく - シロクマの屑籠
  • はてなブックマークは安全な観客席じゃない。“戦場”なんですよ? - シロクマの屑籠

    先日、何気なくはてなブックマークを眺めていたら以下のようなコメントを発見しました。 id:hi_kmd こういうの見ていると体験型演劇の観客になっているかのような感じがする。すぐ隣でブコメ書いていた人が次のシーンのスポットを浴びていたりするような……。 はじめまして。シロクマと申します。 あなたのはてなブックマークコメントにピン!と来たので言及します。 「体験型演劇の観客」とhi_kmdさんは仰いました。そのとおりですね。はてなダイアリーやはてなブログを中心として周囲をtwitterはてなブックマークで取り囲んだインターネット桟敷には、当に安全な観客席は存在しません。 ほら、こうやって私はブックマーカーたるあなたのご見解をブログに引っ張り込んできているわけですよ。 たぶんあなたは、この何気ないブックマークコメントがブログで言及されるとは思っていなかったのではないでしょうか。誰かからの言

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  • 「ゲーム“なんか”やってる場合じゃない」 - シロクマの屑籠

    私は面白そうなブログを見つけたら過去ログを追いかける。そのブロガーがどういう人物なのか、手触りを確認するのが好きだからだ。「個々の記事より、個々のブロガーを読んだほうが面白い」。 で、こちらのブログは年に何度かまとめ読みしていて、その世代感覚・娑婆感覚がチクチクしてしようがないんだけど、今回は、以下のフレーズに引っかかった。 もうゲームの気力もないのか俺。と言うか残り少ない人生ゲームに費やしてホントにイイのかとマジで考えてしまうところに年を感じるなぁ。 (今更ながら世界樹の迷宮Ⅲやってます より抜粋) まるで自分の内心を覗かれたみたいだ。私も最近、ゲーム*1を遊びながら自問自答してしまう。「今、ゲームをやっていて構わないのか?これじゃあまずいんじゃないか?」と。 三十歳になるかならないかの頃の私は、ゲームにのめり込むことに疑問を感じていなかった。小学生時代以来、連綿と続いてきたゲーム趣味

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  • ネットの暗い情念が“世論”と接続してしまう怖さ - シロクマの屑籠

    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150901/k10010212001000.html 佐野研二郎さんがデザインしたオリンピックのエンブレムが、使用中止になった。デザインにどういった問題があったのかは、私は素人なのでよく知らないし興味もない。ただ、件がネット上で巨大炎上を遂げ、延焼に延焼を重ねてエンブレムの使用中止にまで追い詰められた事態は気になった。 「叩けば埃が舞い上がる」「次から次へと燃料がくべられる」――件は“ネット炎上芸”としては満点をつけたい連鎖反応を呈していた。そういった連鎖反応に際しては、新国立競技場の揉め事以上に“ネット世論”のほの暗いパワーが炸裂していたと思う。 デザイン業界の連中が迂闊なのが、今回の件ではネトウヨが大いに関与している点を甘く見てるところだ。暇な匿名ネトウヨの一致団結・糞義憤っぷりを相手にしたら、背負うものがある実

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  • "叩いて構わない奴はとことん叩く"空気と、いじめの共通点 - シロクマの屑籠

    ネットを眺めていてふと気付いた。 現在、日のメディア上では、ネットであれテレビであれ「バッシングを公認されるような過失・落度のある相手は、どれだけ叩いても構わない。その際、相手がどうなるかは配慮しなくて構わない。それが社会だ」という風景がリピート再生されている。なにか不祥事や事故があったら、法的責任が問われるだけでなく、責任者は罵倒され、土下座させられる。法的責任を追求するのとは別に、“感情を納得させる”ために罵倒すること・土下座させることを、社会正義とみなすような空気ができあがっている。もちろん、そうした罵倒や土下座に警察が口出しをすることはないし、マスメディアも何わぬ顔で報道する*1。バッシングが公認される大義名分がある限り、責任者が唾を吐きかけられてもしようがないよねー、という不文律ができているらしい。 インターネット上での“炎上”も似ている。失言・過失・違法行為があったと判明し

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    sky-graph 2015/08/06
    2012年の記事。2015年時点ではどうだろう。大きな炎上の印象は少なく、炎上自体は食傷気味で緩和・寛容よりは興味無しに近づいてるのかな。
  • “毒親”と地域社会の消失、あるいは家父長的システムの崩壊 - シロクマの屑籠

    親が正しいとは限らない 毒家族に苦しんだ漫画家が『ゆがみちゃん』を描いた理由 - ウートピ リンク先は、漫画『ゆがみちゃん』の筆者に対するインタビュー記事だ。気になる人はリンク先をご覧になってみて欲しい。 一読して私が気になった……というより思い出したのは、「そういえば、毒親系の問題があれこれ言われるようになったのって、地域社会が消えてからじゃね?」という事だった。 『ゆがみちゃん』の筆者はリンク先で以下のように述べている。 子どもの頃って、大人と違って関わり合う世界が家庭と学校くらいしかなくて、視野も狭くなりがちじゃないですか。 「子ども時代に大人と関わり合う世界は家庭と学校くらいしかない」――このフレーズは、都市のオートロックマンションや郊外のニュータウンに住んでいる現代の子どもには、かなり当てはまるだろうし、十代〜二十代の人は疑問にすら思わないかもしれない。 だが、このフレーズは昭和

    “毒親”と地域社会の消失、あるいは家父長的システムの崩壊 - シロクマの屑籠
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    sky-graph 2015/08/06
    自分が子供の頃は、近所のばあちゃんからお菓子もらったり、いたずらを叱られたり地域社会との接触あったなぁ。親族とか親の友人とかは接触の機会もあるだろうけど、親の占める割合は大きくなってるのかも。