思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。
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『なぜ日本人は劣化したか』(香山リカ著・講談社現代新書)より。 【2006年も後半のことだったと思う。 「生き方論」などで定評のある雑誌から、原稿の依頼があった。「ストレス解消の秘訣」といったテーマで1200字という短い分量だったので引き受けることにし、締め切り日に原稿をメールした。構成は、「ストレスとは何か」という定義に続けて「ストレスが生まれる理由」を簡単に説明し、それに続けて「解消のために気をつけること」を3つほど書く、というごく常識的なもののつもりだった。 ところが、すぐに編集者から「書き直し」を依頼する返信が来た。 「いただいた原稿に問題がある、というわけではありませんが、こういった構成だと全体を最初から順に読まなければならず、途中で読者が飽きてしまう可能性があります。前半の定義や解説はすべて省き、解消法の部分だけを箇条書きにして、ちょっとした説明とともに書いてください。なお、解
※http://d.hatena.ne.jp/eal/20080717の元原稿です 萌えという感情が、ヲタクでなければ理解または体感できないものであるとするならば、ヲタクでない者に萌えを説明することは不可能なのだろうか。ここでは、萌えについての論考をいったん保留して、お菓子にまつわる文化や歴史などを題材に、いかに萌えの分析が困難であるのかを考察し、逆説的に萌えに少し近づいてみたいと思う。 ジャンクフードと呼ばれているスナック菓子から、デパートにて数千円の値がついている高級スイーツまで、現在さまざまなお菓子が国内で流通されている。「製菓事典」(朝倉書店)によると、お菓子の種類とは、まず和菓子と洋菓子とに二分され、その製造工程などにより、およそ十九種類に分けられる。 萌えをケーキに例える論とは、例えば以下のようなものである。メイドさんや萌えキャラなどに見られる特徴とは、大げさでデコラティヴな可
子供の頃、父親がやろうと言うのでキャッチボールをした、という思い出がある。どうしてこんなことをやらなくてはならないのか、と感じながらやっていた。正直いって、全然楽しくなかった。苦痛でしかなかった。ぼくは運動神経がかなり鈍い。狙ったところに投げられないし、投げられたボールを受け取ることもできない。 体育会系の男性に見られる傾向なのだが、男子であれば投げられたボールを受け取ることはかなりの確立で可能である、そう考えているようである。3回投げて3回とも受け取れない、そのような状況に対し、彼らは激しい苛立ちを覚えるらしい。お前はキャッチボールもできないのかと。だがしかし、こちらから言わせてもらえば、そのような怒りはお門違いだ。すべての男子が優れた反射神経を持っているとする彼らの主張は、要するに自己本位である。例えば、それが女子であれば彼らは「可愛いものだ」のような感慨を抱くだろう。ぼくは、彼らの、
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