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2010年7月8日のブックマーク (7件)

  • このエントリーが1000ブクマ行ったらぼくの知る「市場から撤退すべき企業」を発表します - ハックルベリーに会いに行く

    7月10日(土)に、大阪で講演会をすることになりました。異業種交流会・社外勉強会セミナー情報/交流会合同企画&イベント情報 これは、個人で講演会や勉強会を開催されている方が大阪にいらっしゃって、その方のお招きでお伺いすることになったもので、新大阪の丸ビルで行われます。おかげさまで、を出して以来さまざまなところでさまざまな講演をやらせてもらってきたのですが、その中で、自分がお話しできることは何かというのが、ここ最近になってようやく見極められるようになってきたと言うか、しかしそれでいてまだまだ分からないところもあり、なかなか難しく、いまだに勉強中というところです。それでも、どの講演でも精一杯、誠意を尽くしてお話しさせて頂くことには代わりはないのですが。 今度の大阪の講演は、「どうやったら経営を成功に導けるか?」あるいは「職場でのドラッカーさん活用法」ということについてお話ししようと思っていま

  • 【Web】かわいすぎるロボット「ココナッチ」ヒットなるか!? - MSN産経ニュース

    ツイッターなどと連動する小型ロボット「ココナッチ」の開発が進んでいる。手のひらサイズでパソコンにつないで使用、音や光でメッセージが送られてきたことを伝えてくれる。開発は学生も参加する若手ベンチャーが手がけ、次世代のIT人材に注目が集まっている。 ココナッチは、日常生活の中でコミュニケーションを助けるためのロボット。パソコンにつないだ状態でメールを受信したり、ツイッターで話しかけられたりすると、光や揺れで教えてくれる。相手もココナッチを使用している場合、「おはよう」や「おなかすいた」など、約20の単純なメッセージを音声で送ることも可能。さわってゲームを楽しむこともできる。 開発したのは、東京大学大学院や早稲田大学大学院の学生と、ロボット制作ベンチャー「ユカイ工学」(東京都新宿区)。「ロボット普及の最初の壁は女性。リビングに置いてもらうためには、女性に受け入れられなければならないと思い、ココナ

  • かわんご回顧録 ドワクエ戦記 その5(TV版最終回) - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    (この最終回は庵野監督と冨樫先生に捧げます) m-SRFV戦の流れ ・ 土佐同盟から、別の城攻めていて時間がかかっているので同時に参戦できないといわれる。 ・ もう砦つくりはじめていたのでそのまま開戦。 ・ D社技術陣が開発していた戦争支援ツールが実戦投入される。 ・ 事前の外交とかめんどくさい小細工なしに、黙って砦をたてはじめるのがドワクエ同盟の流儀。緊張に耐えられず攻撃開始予定日をまたずにm-SRFVとあっちこっち同盟が先制攻撃。そのまま戦争が開始。 ・ 緒戦で敵の主力は壊滅するが、m-SRFVには24時間戦い続ける猛者が何人もおり数日たって戦線は膠着状態におちいる。土佐は相変わらず参戦してこない。 ・ 一週間以上たって、土佐ようやく参戦。m-SRFVは火事場泥棒だと土佐に激怒。ドワクエに降伏。 ・ 戦いで友情の芽生えたm-SRFVの主力メンバーのほとんどがドワクエに移籍。 (この戦い

    かわんご回顧録 ドワクエ戦記 その5(TV版最終回) - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
  • ブラウザ三国志17鯖 - プログラマー同盟の軌跡その2 (皇位継承編) : 小野和俊のブログ

    金獅子との外交問題も解決に向かっていたある日、私のもとに一通の書簡が届いた。 「アンチ武帝連合で動かれていると聞きました。協力します。」 武帝連合は、規模、同盟ポイント、領地取得状況など、どの点を取っても17鯖最強の同盟だった。ゲーム開始後ごく初期の段階で全NPC城への隣接を実現し、いくつもの支部を従えたその部の盟主は7鯖で天下統一を実現した「皇帝」その人である。 プログラマー同盟は、武帝連合に対して「一緒に倒したい」、「継いで欲しい」という相反する2通の書簡をほぼ同時に受け取ったわけである。 この二通の書簡を見て、幹部達は口々にこう言った。 幹部: 「プログラマー同盟は強烈なアンチ武帝だったんですね。知りませんでした。」 lalha: 「そのようですね。私も知りませんでした。」 この二通の不可思議な書簡について、プログラマー同盟幹部はいくつかの仮説を立てた。 (1) 一通目を送ってきた

    ブラウザ三国志17鯖 - プログラマー同盟の軌跡その2 (皇位継承編) : 小野和俊のブログ
  • 『ディアブロ』で世界ナンバー3に入った極悪プレイヤーインタビュー / 後編|ガジェット通信 GetNews

    1997年に発売されるやいなや、世界中で空前のオンラインゲームブームを巻き起こしたパソコン用アクションRPG『ディアブロ』。町以外の場所ならばプレイヤー同士が戦うことが可能で、極悪プレイヤーが弱いプレイヤーを殺戮しまくるという行為が横行したゲームでもある。 今回は、そんな『ディアブロ』で世界極悪プレイヤー第3位に選ばれた日人男性にインタビューをすることができた。その後編をお伝えするとしよう(前編はこちら)。 ■弱者から高額アイテムをゲット 記者 前編でお話された殺戮方法以外にも、なにかしていましたか? 極悪 う~ん、いろいろと精神的苦痛を与えることはしてましたよ。 記者 たとえば? 極悪 プレイヤーを殺すと、殺されたプレイヤーがお金やアイテムを落とすんです。 記者 でも弱者を殺しても所持品なんてたかが知れてるのでは……。 極悪 そうですけど、彼らにとっては経験地もお金もないから宝物ですよ

    『ディアブロ』で世界ナンバー3に入った極悪プレイヤーインタビュー / 後編|ガジェット通信 GetNews
  • 『ディアブロ』で世界ナンバー3に入った極悪プレイヤーインタビュー / 前編|ガジェット通信 GetNews

    まだ日中のインターネット環境が乏しく、テレホーダイなどのサービスを利用してインターネットに接続していた時代。完成度がかなり高く、同時に中毒性も高いオンラインゲーム『ディアブロ』が登場した。当時のオンラインゲームとしては先駆け的な存在であり、オンラインゲームというジャンルを世間に認知させたゲームでもある。 現在のオンラインゲームは仲間や通行人など、他人のプレイヤーを攻撃できるものは少ないが、当時は何でもアリだった。それは『ディアブロ』も同じで、極悪プレイをするプレイヤーが続出。その悪質プレイヤーをランキング化し、有名な『ディアブロ』サイトに掲載。世界中の極悪プレイヤーがランキングに掲載された。そして、そのランキングナンバー第3位に載っていたプレイヤーは東京都荒川区に住む日人だった。 今回は、その極悪プレイヤーの日人にインタビューを決行。さまざまなお話をうかがうことができた。 ■きっかけ

    『ディアブロ』で世界ナンバー3に入った極悪プレイヤーインタビュー / 前編|ガジェット通信 GetNews
  • ブラウザ三国志17鯖 - プログラマー同盟の軌跡その1 (黎明編) : 小野和俊のブログ

    Twitterでフォローしている知人の間で「ブラウザ三国志はやばい」、「WoWを引退した人がみんなブラウザ三国志に行った」といった噂が流れ始めたのは、2009年の年末頃だった。ちょうどその頃、才能の限界を感じてWoWを引退した私は、「ソーシャルアプリ系はサンシャイン 牧場しかやったことないので、ちょっと覗いてみるか」という程度の軽い気持ちでブラウザ三国志を始めたのだった。 右も左もわからなかった私は、まだ始まったばかりだった14鯖でゲームを開始した。フムフムなるほど、畑を耕したり伐採所を作ったりして内政を強化しながら、ブショーダスという「武将カードのガチャガチャ」を引いて良い武将を引き当て、成長させていくわけか。ブショーダスで当てられる武将には超低確率のレアカードもあるらしい。 ・・・ということは、アカウントを複数つくってブショーダスをたくさん引けば、そのうち良いカードが出るのでは? 翌朝

    ブラウザ三国志17鯖 - プログラマー同盟の軌跡その1 (黎明編) : 小野和俊のブログ