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2010年7月28日のブックマーク (5件)

  • 表音文字のない言語 | 日本語って・・・

    文字には音のみを表し、それ自体では意味のない「表音文字」と、それ自体で意味を表す「表意文字」がある。「表意文字」の代表的なものは「漢字」である。中国韓国、日は漢字使用国であるが、韓国、日は同時に「ハングル」や「かな」のような表音文字も使用している。この中で表音文字を持たないのは中国だけで、表意文字しかない言語というのは世界的に見ても、とても珍しいのではないだろうか。 中国語にも「ピンイン」という発音を表記する手段があるが、「ピンイン」はアルファベットである。日語なら「ローマ字」で書くようなものだ。自国の文字の音を表すのに、外国からの借り物の文字を使わなければならないとはどういうことか。中国で「ピンイン」使用が始まったのはそれほど前のことではないようだが、なぜ、そのときに、韓国で「ハングル」が発明されたように、音だけを表す中国独自の文字を作らなかったのだろうか。 「ピンイン」は発音を

    表音文字のない言語 | 日本語って・・・
    smicho
    smicho 2010/07/28
    人工言語説って無いんかな。
  • アフリカの貧困は紀元前1000年に決まっていた? - himaginary’s diary

    というブログ記事をイースタリーが書いていた(原題は「Was the poverty of Africa determined in 1000 BC?」)。内容はイースタリーが共著した論文の紹介。 論文では、紀元前1000年、紀元ゼロ年、紀元1500年、そして現代という4時点の各国の技術採用度を測定する、という気宇壮大なことを試みている。表4ではその技術採用度を指標化したものの五大陸ごとの平均が記載されている。試しにグラフ化してみると以下のようになる。 ここで、技術の発明ではなく採用の程度を指標としたところが味噌である。論文ではその点について以下のように記述している。 Why do our historical rankings differ from the view that ancient Europeans were barbarians, while China and the M

    アフリカの貧困は紀元前1000年に決まっていた? - himaginary’s diary
    smicho
    smicho 2010/07/28
  • 「忘れられる」ことが決してない社会で生きるとは ? | スラド IT

    インターネット上に全てが記録され、Twitter やブログなどへの投稿、写真やその他情報がほぼ永久に保存され「忘れられる」ことが決してない社会で生きるとはどういうことなのだろうか、という NY Times の記事が掲載されている (家 /. 記事より) 。 ネットでは我々が未だかつて経験したことのないような覗き見行為や露出行為、不用意で軽率な行為が横行していたりする。しかし自分の発言、また自分に関する他者の発言などがデータとして永久に残り、公開され続ける社会に生きることについて我々はまだ理解し始めたばかりであると言えよう。インターネットは「忘れる」ことをしないため、我々はもはや自分のアイデンティティを自身で管理したり、自己改革し新たな出発をきるといった機会が脅かされている状況にある。 「Delete: The Virtue of Forgetting in the Digital Age

    smicho
    smicho 2010/07/28
  • 日本人が本当に大嫌いなのは「異質な人々」 - 狐の王国

    不景気だからこその移民政策のススメという記事のコメント欄に集まる外国人排斥的な言論に、移民もまた人間であるという記事でelm200さんが怒ってらっしゃる。 確かに日人は外国人を避ける傾向がある。いや外国人どころじゃない。同じ日人相手ですら、自分たちの言葉が通じない相手を極端に嫌う傾向がある。 言葉が通じないというのは、日語という問題だけではない。その仲間うちで使われてる用語や名詞を知らない相手をひどく馬鹿にしたり避けたりする。 有名企業の名前を知らないだとか、名刺の渡し方を知らないだとか。日人が「失礼」と感じるもののうち少なからずが「知らない」ことによって発生する。だから反社会的な少年たちは決まって「知らねえ」という言葉を発する。 こういった常識が形成される背景には、単一的な文化がある。万人が共通して「知っているはず」の知識というのがたくさんある。「知らないと馬鹿にされる」知識が山

    日本人が本当に大嫌いなのは「異質な人々」 - 狐の王国
  • 法則科学から臨床科学へ : 池田信夫 blog

    2010年07月27日22:07 カテゴリ科学/文化経済 法則科学から臨床科学へ Mankiw's blogで紹介されたロバート・ソローの議会証言が話題を呼んでいる。内容はそう目新しくもないDSGE批判なのだが、Especially when it comes to matters as important as macroeconomics, a mainstream economist like me insists that every proposition must pass the smell test: does this really make sense? I do not think that the currently popular DSGE models pass the smell test.とDSGEを全面否定するのがちょっと驚きだ。その根拠は「合理的予想」が

    法則科学から臨床科学へ : 池田信夫 blog
    smicho
    smicho 2010/07/28
    違うよ。>根拠のない臆断