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ブックマーク / nepalreview.wordpress.com (4)

  • 文化と「表現の自由」:インド映画禁止運動

    1.CPN-Mのインド映画禁止運動 マオイスト左派のCPN-M[バイダ派マオイスト]が,9月26日,「下劣なインド映画」とインド車両の全面禁止を宣言した。すでにCPN-Mは,影響下の自称「タムサリン州」の10郡(チトワン,マクワンプル,ダディン,シンドパルチョーク,カブレなど)において,インド車両の通行を実力阻止し,インド映画・インド音楽の上映や放送を禁止している。26日の発表は,このインド映画・インド車両排除運動の全国への拡大宣言である。 この決定のうち,インド車両の禁止は,分からないわけではない。インド登録車両がどの程度ネパール国内に入り使用されているか正確には分からないが,相当数使用されていると思われ,もしそうなら独立国家ネパールの政治と経済にとって,これはゆゆしき問題であり,何らかの規制は当然といえよう。 2.CPN-Mはアナクロ全体主義か? これに対し,インド映画禁止は,「知る権

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    smicho
    smicho 2012/09/30
  • 宗教と「表現の自由」:ヒンドゥー教冒涜事件

    1.信仰と「表現の自由」 世界ヒンドゥー協会(WHF)のネパール急進派・ヘムバハドール・カルキ(Hem Bahadur Karki)派が,9月11日カトマンズ市内の画廊に押しかけ,ヒンドゥーの神々を冒涜したとして,画家マニシュ・ハリジャン(Manish Harijan)を殺すと脅迫した。 「表現の自由」は世界的に確立された権利であり,ネパール暫定憲法第15条でも明確に保障されている。カルキ派によるハリジャン脅迫は,「表現の自由」への暴力による攻撃であり,それ自体,許されるべきものではないが,一方,「表現の自由」も無制限ではなく,他の自由や権利を侵害しないための規制ないし権利間の調整が避けては通れないこともまた事実である。 これは,今回のような宗教との関係においては,特に難しい,やっかいな問題となる。人が熱心に,誠実に信仰すればするほど,信仰対象は神聖なものとなり,みだりに論評してはならない

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    smicho
    smicho 2012/09/27
  • 出生前診断で女児中絶

    ネパールでは,出生前診断で胎児が女児と判かった場合,親族の圧力により中絶させられることが少なくない。その数,年5万人に上るという(社説「女児胎児殺戮」Nepali Times, Sep14-20, 2012)。 1.悪魔の医術 医学の「進歩」により,出生前診断は日々高度化している。いまではNT法,MPS法,マイクロアレイ法などの出生前診断により,ダウン症,自閉症,血友病など,200以上の「異常」や疾病が判るという(朝日新聞2012-09-20)。 また,羊水検査ではなく,妊婦の血液を調べるだけで,胎児の遺伝子異常が99%の精度で判別できる簡便な検査方法も開発され,使用され始めている(朝日新聞2012-09-04)。 古来,「子は天からの授かりもの」とされ,出生は神の領域であった。キリスト教でも,子は親のものではなく,神の子供である。子の生命は,親のものではなく,神のものであった。 ところが

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    smicho 2012/09/27
  • イスラム固有の権利

    西洋の無責任な包摂参加原理主義・連邦制原理主義のせいで,アイデンティティ政治の危険性がますます高まってきた。 短い記事だが,リパブリカ(2012-3-22)によると,ネパール・マドラサ連合は,イスラム固有のアイデンティティを認め,新憲法にムスリムとしての権利を書き込むよう要求している。 彼らによれば,ムスリムは「マデシ」ではない。新憲法は,ムスリムをムスリムとして認め,政府諸機関等にすべて人口比に応じたムスリム枠を設定すべきだという。 マドラサ連合は,もしこのムスリムの要求が認められなければ,街頭に出て抗議活動を始めると警告している。 これは,警戒すべき動きだ。そもそも宗教は神々のものであり,歴代のネパール統治者は最大限の慎重さをもって扱ってきた。それは,たしかに差別抑圧の構造化・内面化の側面をもつ。しかし,だからといってパンドラの箱を不用意に開けてよいということにはならない。 にもかかわ

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    smicho 2012/03/24
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