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福田恆存に関するsmocchanのブックマーク (4)

  • 「福田恆存と孤独(上)「日本にも天がある」」:イザ!

    【日人とこころ】 「平和論に対する疑問」や国語改革批判など、戦後史に残る数々の論争の当事者で、鋭利な筆鋒で知られる昭和の批評家、福田恆存(つねあり)。昭和20年代から晩年まで、約半世紀にわたって福田に師事した早稲田大名誉教授、松原正(80)には、師と激しく議論を戦わせた思い出がある。関連記事スキー距離 福田が五輪代表確実に さ…福田沙紀、ウルトラセブンに大興奮で愛…記事文の続き 昭和38年冬、福田はフォード財団などの招きでイギリス、アメリカに約1カ月間滞在し、松原も同行した。その折、ニューヨークのホテルの一室でのことだ。話題は、日文化が絶対的な神の存在を欠いていることについてだった。 「先生、日人はよく『絶対に』という言葉を気やすく使うが、私たちには絶対というものはないんですよ、と言ったら、『そんなことはないよ』ということで、激論になった」(松原) そのとき、福田はこう反論したとい

  • 柄谷行人【平衡感覚――福田恆存を悼んで】

    平野謙がどこかで、小林秀雄が「文學界」を始めたとき人民戦線を考えていたのでないかと述べていた。人民戦線と呼ぶべきかどうかは別として、小林秀雄が左翼崩壊後に左翼擁護の立場にまわったことは確実である。そのことは彼が「文學界」同人に中野重治や林達夫を強く誘ったことからも、また彼の「私小説論」や「芸術と実生活」といった評論からも明らかである。また、「戸坂潤氏へ」というエッセイには、そのことが端的に書かれている。彼は戸坂潤らが作った「唯物論研究会」に入っていたのである。小林を「伝統主義者、復古主義者、日主義者」と断罪する戸坂の批評に対して、彼はこう述べる。《屁理屈は抜きにして、それより僕は唯物論研究会のメンバーであるから、さつさと除名したがよかろう》。 僕は自ら進んで唯物論研究会に入会したのではない、再三勧誘を受けて加入を承諾したのである。その時僕の名前でも利用の価値があるならどういふ風にでも利用

  • 右翼的感性について - hkmaroのブログ

    今日は古を六冊買った。カントの『純粋理性批判』が三冊、平泉澄の『物語日史』が三冊だった。どっちも上中下三冊ある。 『物語日史』の出だしには、若干右翼的とも取れる表現がある。日史のなのだから、そういう表現があっても不思議ではない。むしろ、右翼的な心情にアピールしなくては日史を語る根源的意味に関わってしまうかもしれない。世界史を語るのには民族的感情はなんら必要ないだろう。むしろ確乎とした教養を修めるにあたって今現在の世の中に必要とされている歴史的知識は世界史の知識なのであって、日史はその中の数ページにのみ位置づけられるに過ぎないし、事実地歴三科目のうち必修なのは世界史だけだ。それはそれで正しい位置づけであり、正しい歴史認識なのである。この東洋の島国がどれだけ世界の歴史を動かせたか。確かに日は戦後は経済的な大発展を遂げてそこそこは歴史を動かしたかもしれないし、戦前だったら驚異的な

    右翼的感性について - hkmaroのブログ
  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0514.html

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