ブックマーク / littleboy.hatenablog.com (2)

  • 立川談志の業- てれびのスキマ

    立川談春による名著「赤めだか」には以前も紹介したとおり、印象的なエピソードが満載だが、彼の初めての立川談志体験の模様も当然描かれている。 それは中学生の時。同級生たちと上野鈴へ落語を聴きに行くという企画があったという。 そこに登場した談志は、他の芸人とは明らかにオーラが違っていたという。 その高座の枕で談志は以下のように語ったという。 落語っていうのは他の芸能とは全く異質のものなんだ。どんな芸能でも多くの場合は、為せば成るというのがテーマなんだな。一所懸命努力しなさい、勉強しなさい、練習しなさい。そうすれば必ず最後はむくわれますよ。良い結果が出ますよとね。 そこで、談志は「忠臣蔵」を例に出す。普通の芸能では当然、四十七士が主人公だ、と。しかし、赤穂藩には家臣が300人近くいた。つまり、他の250人ほどの家臣は、敵打ちにいかなかった。逃げちゃった。47人やその親族は尊敬をされただろう。一方

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  • 田原総一朗の過激な青春- てれびのスキマ

    田原総一朗といえば、最近は「割と朝までやってる人」(千原ジュニア)というイメージしかないかもしれない。 しかしながら、彼は若き頃、今の放送コードぎりぎりな芸人あるいはアングラ劇団、パンクロッカーなどなどが束になっても敵わないような過激すぎる活動をしていた。しかも会社員時代に。 そんな田原が5月27日に放送された「クメピポ」に出演し、当時のことを振り返っていた。 田原は1964年から1977年まで東京12チャンネル(現・テレビ東京)でディレクターとして、ドキュメント番組などを制作していた。 「他局がオンエアできないような番組を作ろうと思った」という田原。 テレ東ってテレビ番外地って言われたの。誰も(チャンネルを)12まで回しませんよ。 だからそこで見てもらうためには他の局が絶対やらないようなものをやらなきゃダメ。 しかもね、そりゃ、NHKやTBSは(スタッフも)能力があるのが行ってる。 テレ

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