歴史は何のために書くのか。この手の質問を人からされたら、私は嫌な顔を隠せとおせないだろう。ただ、昨日のエントリについてそういう疑問が生じたかもしれない…という懸念は、私のなかにもあって、やはり不十分な文章をパブリックな場にあげても傷つくのは私自身だという反省も、自戒も、今ともにある。 研究費の申請や何やらで、研究の意義を語らなければならないということは、個々にある。個々にあるのだけれど、何故お前は歴史を書くのか、という風な問いの形式で出されると、なんだか面と向かって生まれてきた意味を問われているような気が反射的にしてしまう。わからない人には禅問答のようなことを言っている気がするので、もう少し補足する。 あくまで個人的な考えだけれど、その人自身が抱え込んだいかんともしがたいような混み入った事情と、それをもって社会と向き合ったときに出てくる違和感を編成しなおしたのが人文科学の問題意識であって、