[評者]栗原 裕一郎 (評論家) ■時間・夢・記憶を自在に操る 筋というほどの筋はない。子供のころに葉山の別荘で夏をともに過ごした貴子と永遠子が二十五年後に再会するという状況があるばかりだ。 貴子が母、叔父と夏に訪れていた別荘に、永遠子の母が管理人として雇われており、永遠子も同行していた。二人は姉妹的とも同性愛的ともつかない密接な関係を築くが母を亡くした八歳を境に貴子は別荘から消え、十五歳の永遠子と疎遠になる。取り壊しの連絡を受けた永遠子が別荘の整理に赴き二十五年ぶりの再会をする。以上が「状況」で、永遠子と貴子の視点から語られるが、二人は手段であって目的ではない。主人公というよりもむしろ媒体に近い。 真の主人公は「時間と夢と記憶」だ。「きこちゃん」「とわちゃん」と呼び合う二人は、七歳の差がありながら、どちらがどちらか判然としない溶け合ったもののように描かれる。現在と過去は混淆(こんこう)し