「本当に残念の一言」志村けんさん兄が涙のコメント(20/03/30) 志村さんは僕の両親と同じ昭和25年生まれで、昭和48年生まれの僕が物心つきはじめたころに、東村山音頭で花開いたという印象がある。そして8時だヨ全員集合が終わったのが昭和60年。子ども時代の僕の目に、強い印象を残した。 だから訃報を聞いて、大きなショックを受けたのだろうと思われる。去年のショーケンのときも大きなショックだったけれども、ショーケンの場合は長い時間闘病しながら頑張っていたということなので、まだあきらめはついた。やっと休めるのだからと。 コロナウイルスがうんぬんというのはもうどうでもよくて、志村けんという存在を失ったこと自体がショックなのだ。よくこの訃報を聞いて、コロナがどう、安倍政権がどう、中国がどうなどとみんないえるなと思われる。自分の価値観の押しつけなのは承知で。 お兄様もさぞかし無念だったと思われる。急遽