2015年4月8日のブックマーク (2件)

  • 『ユリ熊嵐』最終話を終えて/幾原邦彦作品の物語的特徴について: \(^ω^\Ξ/^ω^)/

    ユリ熊嵐、1周しか見ていないしよくわかっていない部分がたくさんあるのだけど、とりあえずの感想としては「あまりにも幾原邦彦」だと感じた。ウテナやピンドラでも随所に顔をのぞかせていた幾原的世界観・倫理観が、今までで最も明快にわかりやすく表現された作品だったのではないかと思う。 以下、幾原作品の特徴として挙げられそうなことをいくつか書き出してみた。 ウテナ・ピンドラ・ユリ熊嵐のネタバレを含みます。 ・制度化された絆に対して批判的であり、むしろそれに抗う個人的な絆が称賛される。 家族よりも擬似家族が、異性愛よりも同性愛が、所有関係よりも対等な友達関係が、クラスの団結よりも集団の掟で禁じられた交流が、肯定的に描かれる。個人的にはこの点こそ、幾原作品の物語を幾原作品たらしめている最も重要な点ではないかと思う。 「だから、当の友達になりたかった。あの壁を越えて」 ・愛は見つけ出すもの(手に入れるもの)

    snobocracy
    snobocracy 2015/04/08
    だいたい網羅されてる。
  • 異質な他者と生きること 『ユリ熊嵐』を見て - 衒学四重奏

    前回のblog投稿から早いもので3年が経った。久々のblog投稿で何について書くかというと、先日最終話を迎えた『ユリ熊嵐』についてである。 作は、幾原監督の過去の作品と同様、抽象度の高いワーディングや、シュールなアニメ表現、回想シーンを多用したプロットにより、独特の分かりにくさがある。それらは、幾原監督の作家性であり、魅力の1つだ。ところが、最終話まで観てしまえば、幾原監督のメッセージは一貫して明解だと思えた。おそらく、1巡目(特に序盤)には抽象度の高い表現に翻弄された人であっても、作品のテーマを理解した後に見直せば、理解は幾分容易になるだろう。ただ、周りを見回すと、最終話を見終えてもなお、「最後までよく分からなかった」という感想も一定数見かける。そこで、何の足しになるかは分からないが、私が理解している範囲内で、作のテーマを書き残しておきたい*1。 普遍的な愛を喪失した世界で「物のス

    異質な他者と生きること 『ユリ熊嵐』を見て - 衒学四重奏
    snobocracy
    snobocracy 2015/04/08
    3年ぶりにblogを更新しました。想定外に長くなってしまった。