ブックマーク / hiko1985.hatenablog.com (8)

  • 『かまいたちの知らんけど』濱家が涙…スーパー・イズミヤへ最後の挨拶 - 青春ゾンビ

    MBS製作『かまいたちの知らんけど』の9月12日放送の特別編「37年間通ったスーパー イズミヤへ濱家最後の挨拶」が実に素晴らしい内容だった。関西圏外にはあまり馴染みのない番組かもしれないが、今はTVerという素晴らしいメディアがありますのでぜひチェックして欲しい。 かまいたちの濱家の生まれ育った大阪市東淀川区にある上新庄という町で、彼が生まれる前から営業している大型総合スーパーイズミヤ。濱家にとって、幼少時代から家族や友人との思い出の詰まった大切な場所だ。そのイズミヤ上新庄店がこの8月末をもって47年間の歴史に幕を閉じるという。濱家はイズミヤに感謝と別れを伝えるべくロケを敢行する。 ショックすぎる…。 フードコートのチョコマーブルアイス、世界一美味いポテト。 おもちゃ売り場、ジャンケンのゲーム機、初めてCD買ったお店、横の屋さん。 たまに開催されるガラガラ福引き。 服もも全部イズミヤで

    『かまいたちの知らんけど』濱家が涙…スーパー・イズミヤへ最後の挨拶 - 青春ゾンビ
  • 坂元裕二『花束みたいな恋をした』 - 青春ゾンビ

    <A面> 絹(有村架純)が「この人はわたしに話しかけてくれている」と心酔するブログ『恋愛生存率』ではいつも同じテーマが綴られていた。それは、”はじまりはおわりのはじまり“。 出会いは常に別れを内在し、恋愛はパーティーのようにいつしか終わる。だから恋する者たちは好きなものを持ち寄ってテーブルを挟み、お喋りをし、その切なさを楽しむしかないのだ ある日、ブログの筆者である”めい“は恋に落ち、「数パーセントに満たない生存率の恋愛をわたしは生き残る」と綴ったその一年後に自ら命を絶ってしまう。 めいさんが死んだ 恋の死を見たんだろうか。その死に殉ずることにしたんだろうか。どれも想像に過ぎないし、そこに自分の恋愛を重ねるつもりはない としながらも、絹の頭には「どんな恋でも、いつしか必ず終わりを迎える」という諦念が刷り込まれている。麦(菅田将暉)が何気なく言ってのける「僕の人生の目標は絹ちゃんとの現状維持

    坂元裕二『花束みたいな恋をした』 - 青春ゾンビ
  • ニンゲン観察バラエティ モニタリング『オードリー・春日俊彰のプロポーズ大作戦』 - 青春ゾンビ

    クミさん。 今までたくさんの手紙をもらってきたけど、今日はじめて手紙を書きます。 昨日、家にある数々の手紙を読みかえしてみました。春日の誕生日、バレンタイン、クリスマス、一ヶ月記念、一年記念、春日が入院したとき、M-1の日。そのどれもが春日に対する気持ちであふれ、体のことを心配してくれ、最後は必ず「また、来年も同じように祝いたい」で終わっていました。 すべての手紙に2人の将来に対してのたくさんの期待が詰まっていました。しかし年々、手紙の数は減っていき、最後の手紙は5年前のことでした。手紙に変わって「結婚のことはどう考えてるの?」というメールになりました。 不安にさせて、悲しくさせて、つらい思いをさせて、ごめんなさい。結婚している友達が多くいる集まりで話に入っていけず、台所で料理をさせるふりをさせてごめんなさい。結婚で何かが変わってしまうのが、怖かったんです。クミさんのことより、自分のことし

    ニンゲン観察バラエティ モニタリング『オードリー・春日俊彰のプロポーズ大作戦』 - 青春ゾンビ
  • 『オードリーのオールナイトニッポン10周年全国ツアー in 日本武道館』 - 青春ゾンビ

    たまらなく不安な夜には、いつもラジオが流れていた。ラジオはわたしたちの夜に忍びこむ。「さびしいのはおまえだけじゃない」と。武道館とライブビューイング会場に駆けつけたのは2万2千人のリトルトゥース。その1人1人にオードリーとの"夜"があるのだと想うと、それだけで胸は一杯になってしまう。しかし、そんな感傷に簡単には浸らせてはくれないのがオードリーだ。武道館という大舞台であろうと、特別なことはしない。「内輪ウケを全力でやりにきてます」と、いつも通りの"夜"を展開させるのだ。そんな照れ方こそが、オードリーなりのリスナーへの信頼で、愛情のように想える。 「早速だけど苦情言っていい?」と始まった最初のフリートークは、若林と春日の父親のイラストがプリントされた特注パーカーについて。カメラに映し出される白いパーカー、若林の父の頭上には"輪っか"が乗っている。「俺の親父が3年前に隠れたんだけどね」という番組

    『オードリーのオールナイトニッポン10周年全国ツアー in 日本武道館』 - 青春ゾンビ
  • プロフェッショナル仕事の流儀「 生きづらい、あなたへ~脚本家・坂元裕二~」 - 青春ゾンビ

    「私 この人のこと好き 目キラキラ」みたいなのは そこには当はない気がするんですよね バスの帰りで雑談をして バスの車中で「今日は風が強いね」とか 「前のおじさん寝ているね」「うとうとしているね」とか そんな話をしながら 「じゃあね」って帰って行って 家に着いて 一人でテレビでも見ようかなって思ったけどテレビを消して こうやって紙を折りたたんでいるときに 「ああ 私 あの人のこと好きなのかもな」って気が付くのであって 小さい積み重ねで 人間っていうのは描かれるものだから 僕にとっては大きな物語よりも 小さい仕草で描かれている人物をテレビで見るほうが とても刺激的だなって思うんですよ 番組で発されたこの言葉に、坂元裕二の書くテレビドラマの魅力が端的に言いまとめられている。何の意味も、何の価値もないように見えることに、“当のこと”は詰まっている。それを教えてくれるのが坂元作品だ。このドキュ

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  • 新しい地図『72時間ホンネテレビ』 - 青春ゾンビ

    毎日みんなで口にするのは「ああ あいつも来てればなぁ」って 当に僕も同感だよ それだけが残念でしょうがないよ スチャダラパー「彼方からの手紙」 そこに”いない”と感じるってことは、実はむちゃくちゃ”いる”ということなのだ。『72時間ホンネテレビ』は3人としてスタートを切る番組ではなく、どこまでも5(6)人を諦めない、という意志のように思えた。ちなみに、上に引用したスチャダラパーの「彼方からの手紙」という曲はこう締めくくられる。 ぼくはすべてを把握した ここにこなけりゃぼくは一生 わからずじまいで過ごしていたよ あんがい桃源郷なんてのは ここのことかなってちょっと思った 君もはやく来たらと思う それだけ書いて筆を置く まさに桃源郷のような3日間だった。もちろん、72時間の内、8割方は既存のテレビ番組の冴えない企画の焼き増しで、「地上波放送じゃできない」という謳い文句は決して適切ではない(地

    新しい地図『72時間ホンネテレビ』 - 青春ゾンビ
  • 坂元裕二『カルテット』8話 - 青春ゾンビ

    またしても心震えるような傑作回である。8話に到達してもなお、坂元裕二のペンが絶好調だ。例えば、「お義母さん!(駆け寄って)野沢菜ふりかけ」というギャグのようなシークエンス1つとっても、真紀(松たか子)にハグを期待してかわされる鏡子(もたいまさこ)に、同じく別れ際にハグをすかされた幹生(宮藤官九郎)の顔がチラつく。こういった些細な書き込みによって、鏡子というキャラクターに「あぁ彼女は幹生の母であるのだな」という実感が宿るのだ。こういった人間の小さな営みを積み重ねることのできる細部の充足こそが、坂元裕二の真骨頂だろう。穴釣り、冷え冷えの便座、穴の空いたストッキングと、今話においても”ドーナッツホール”のモチーフが活き活きと登場し、物語に華を添える。ナポリタンとブラウス、ナポリタンと粉チーズ、と”赤”と”白”の混ざりあいが提示されたり、すずめ(満島ひかり)にチェロを教えたという”白い髭のおじいさ

    坂元裕二『カルテット』8話 - 青春ゾンビ
  • 野木亜紀子『逃げるは恥だが役に立つ』最終話 - 青春ゾンビ

    みくりさんは自分の事を”普通じゃない”と言うが 今更です とっくに知ってました たいしたことじゃありません 僕達は最初から普通じゃなかった という平匡(星野源)の台詞にもあるが、このドラマの登場人物はみな一様に、世間一般で言うところの”普通”に該当しない。故に「普通ならばこうあるべき」というレッテル貼りに苦しみ、傷つけれてきた。男らしくあるべき、いい歳なんだから結婚しなさい、女は子どもを産まなくてはならない、女は若いほうが優れている、愛の対象は異性に向けられるのが普通etc・・・こういった数々のレッテルをユリちゃん(石田ゆり子)は”呪い”と名付け、 そんな恐ろしい呪いからはさっさと逃げてしまいなさい と、テレビの前の視聴者に向けて語りかける。このドラマにおける最も感動的なシーンの1つだろう。しかし、”呪縛”という言葉がある通り、逃げても逃げても、へばり付いて離れない呪いというのは往々にして

    野木亜紀子『逃げるは恥だが役に立つ』最終話 - 青春ゾンビ
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