セメントとコンクリートとアスファルトの違いも分からないまま大人になっちゃった。

ノーベル物理学賞を受賞した赤崎勇・名城大教授は、名古屋大教授時代に取得した特許で、名大に約14億円の特許収入をもたらした。 名大によると、赤崎さんは1959~64年と、81~92年に在籍。最初の特許は85年で、これまでに青色LEDの基礎となる基板の作製など、基本的なものだけで六つの特許を取得したという。 主な特許は2007年で期限が切れたが、そのほかの関連する特許もあわせ、収入は計14億3千万円に上った。06年には大学構内に赤崎さんの業績を顕彰して「赤崎記念研究館」が建てられ、研究拠点として活用されている。
3年前にイタリア中部で起きた地震を巡って、地震の発生前に国の委員会が安全宣言とも受け止められる情報を流し被害を拡大させたとして、専門家ら7人が過失致死などの罪に問われている裁判で、イタリアの裁判所は被告側の過失を認め、全員に禁錮6年の有罪判決を言い渡しました。 今回の判決が専門家の科学的な分析にどの程度、過失があると判断したものかはまだ分かっていませんが、この裁判を巡っては各国の専門家から科学的な見解を伝えて刑事責任を問われれば、自由に考えを述べられなくなるといった懸念の声が上がっていました。 地球物理学の世界最大の学会とされるAGU=アメリカ地球物理学連合は、おととし、イタリアの専門家が起訴された際、「科学者や行政担当者が地震のリスクを伝えて起訴されると政府に対する助言や提言ができなくなるおそれがある」などと、イタリアの司法当局の対応を厳しく批判する声明を発表しました。 また、日本の地震
2010年8月23日に開かれたシンポジウム「科学裁判を考える」で司会する筆者。 左は物理学者の本堂毅さん=東京の弁護士会館 事業仕分けで科学技術予算が議論されたよう、法と科学が交錯する問題は少なくない。しかし、法と科学の世界は水と油といってもいいほど違っている。 科学技術が及ぼす倫理的・法的・社会的課題(ELSI=Ethical, Legal and Social Issues)に取り組むためには、科学と法の専門知が要求されるけれど、異なる専門家が一緒に仕事をする(これを「協働」などということがある)のは意外と難しい。そこで、協働を難しくしている原因を発見し、一緒に問題を解決していく仕組みを研究するプロジェクト「不確実な科学的状況での法的意思決定」が2009年10月にスタートした(http://www.law-science.org/)。 科学技術振興機構(JST)社会技術研究開発センター
よく言われる、疑似科学や代替医療は「人に優しい」一方で、正しい科学や標準医療は「人に冷たい」から疑似科学や代替医療が幅を効かせることになるんだ、という話。 科学は冷たく、疑似科学は優しいのです。これでは、科学は疑似科学に対して全く勝ち目がありません。 科学は疑似科学に勝てません - バッタもん日記 でも、本当にそうなのかな? 思うに、科学や医療が人に「優しくない」「冷たい」という評価が起こってしまう理由は、結果についての責任の不平等さにあります。 例えば、医療は「正しい」からこそ、医者が間違ってはならないことを間違ってしまった場合の責任は重く問われます。しかしながら、医療に絶対はありませんから、不幸な結果はどうしても起こりうる。それについても結果を問われるような事例が増えたことから、防衛的な行動を取らざるを得なくなっている。 一方で、代替医療はそもそも医療として認められていないので、「騙さ
という感想が、以下のTogetterのコメントあるいはそれへのブックマークにあり、うまいこと言うなぁと思ったので流用させていただいた。ちなみに、私は自分の研究分野以外は素人なので、3月11日からずっと「何をやればよいのか断言しろよ!」といらだっていた一般市民なので、別にタイトルのようには思わなかった。 Togetter:「科学は信仰するもの」という科学者って、いったい誰のことなのかしら? Togetter:菊池誠さんx春日匠さん 大阪大学教員どうしの激論 Togetter:「御用学者Wiki」についてのやりとり @skasugaさんがTogetter:「科学は信仰するもの」という科学者って、いったい誰のことなのかしら?の終わりの方で以下のようにつぶやいたことから、残りの二つがまとめにあるようなやりとりが発生している。 そういえば『もうダマされないための「科学」講義』は立場の違う人々のアンソ
眠くなってウトウトして起きたら朝まで生テレビをやっていたのでもやしもんの10巻を読みながらダラダラ聞いていました。 そんな時、番組中で気になった場面が。原子力系学者の先生が「”絶対に”爆発はないんですね?」と詰め寄られてコメント出来なくなってしまった場面。これは相手が研究者という性質をわかった上で聞かなければいけない内容でしたね。なんせ研究者にとって「絶対」ということは自分の全否定になるのだから。 研究者に「絶対」は厳禁である 結論から言うと、研究者が「絶対です」という言葉を使うのは非常に希です。なぜなら100%だと言ってしまった瞬間に、研究が終わってしまうから。 たとえば今日の番組内での質問「絶対に爆発はありませんね?」に関して、もし99.99%爆発が無かったとしても、0.01%の例外がある限り、研究者は首を縦にふることができません。そもそも例外とはその名の通り例の外で、自分の想定の範囲
この生物多様性年も終わりに近い頃、日本の淡水魚が1種増えました。それは、最近新聞などでも報じられたクニマスのことです。クニマスは田沢湖にだけ生息していましたが、昭和の10年代、田沢湖の水を発電に利用するとき、水量を多くするため、酸性の強い川の水を田沢湖に流入させたため、絶滅してしまいました。 ところがこのクニマスの卵がそれ以前に山梨県の西湖に移植されており、そこで繁殖して、今日まで生き延びていたことが今年に入り確認されたのです。本当に奇跡の魚(うお)と言ってもよいように思います。クニマスについては、私には12歳の時の思い出があります。この年に、私は、大島正満博士の著書「少年科学物語」の中に、田沢湖のクニマスは酸性の水の流入により、やがて絶滅するであろうということが書かれてあるのを読みました。そしてそのことは私の心に深く残るものでした。 それから65年、クニマス生存の朗報に接したわけです。こ
科学の成果物が魔法と区別がつかないことはあるけれども。でもそれは原理とかがさっぱり説明されないブラックボックス状態である時だけだし。 科学の成果物かどうかは検証の仕方にかかっているとはいえ、エビデンスの見方もわからない魔法みたいなものはあるけど、往々にして人心を惑わすものはバカでも検証可能な原理とそれが検証されていないであろうことを提示してくるので、その上で惑わされるのはリテラシーがどうとか言われても仕方がないかもしれない。でも大抵の人は自分で考えるのは面倒なので検証しないけど。 だから、検証する人がインターネット時代になって検証するための材料が広く流布されることで増えてるとしたら、それだけで人類の進歩と言ってもよいかもしれない。
“左右盲”とは ごく一般には、「右」「みぎ」「左」「ひだり」と言葉または文字で指し示されたとき、または、「右とはどちらか?」というような判断を求められたときに、それに呼応する方向を確定するまでの脳内処理に若干の時間がかかる様子を指す。 “左右盲”に関しては、幼少時の 左利きの矯正と「利き手は使う手」「利き手はミギ」「箸を持つほうがミギ」という教育を同時に行われて混乱 対面で「ミギの旗を揚げて」と言われたがそのミギは誰のミギなのかわからなくて混乱(あなたの?私の?) というような「左右についての心傷事件」が原因になっているような気もするが、調査が行われているわけではないので鵜呑み不可。 ともあれ、“左右盲”の人間は、左右の判断に際して若干の判断材料を必要とする。実際の判断にかかる時間は1秒未満から数秒まで様々。もちろん、咄嗟の判断も可能ではあるが、誤る可能性が増加する。 「右は右手の方向、右
http://blackshadow.seesaa.net/article/103617644.html 福岡さんは好きな研究者の1人なので,さてどんなふうに批判されるのかと期待して読んだのですがよく分かりませんでした。いや,僕が無知なゆえに分からないということなんですけどね。 「進化生物学にはダーウィンとラマルクという2つの大きな仮説があったが,様々な検証の結果,ラマルクは棄却され,ダーウィンが支持された」と理解していいのかな,そういう歴史があるそうで,そのことを前提に考えると,福岡さんがラマルクを支持するような発言をするのは許せないということになるのかな。 福岡さんが「生物と〜」の中で主張していたことは,人間を形成する組織は頭のてっぺんから爪先まですべて循環しているというようなことでしたよね。彼はそれを「動的平衡dynamic equilibrium」と呼んでいます。これを最初に発見し
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