世の中には信用してはいけない意見というものが存在します。日本においては、特に海外の宗教について論じた意見の中に荒唐無稽なものが多いようです。そして、そのような暴論の多くには共通する特徴があるのです。 それは、不適的な枠組みで宗教を論じていることです。例えば、ある宗教における異なる宗派群を大同小異として取り扱った上で批判するといった行為が挙げられるでしょう。 こういった意見が常に誤っているわけではありません。しかし、そういう前提に立った上で正しく論じるには細心の注意が必要となります。そのため、多くの論者が実態と乖離した不毛な意見を述べる結果に終わっています。それは、この電波受信記録における記事の一部も例外ではありません。 そこで宗教について論じる際の注意点と、適切な枠組みの区切り方について簡単な提言を述べておこうと思います。 大まか過ぎる枠組みで宗教を論じる意見 キリスト教を例に採ってみまし