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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (2)

  • なぜ最初はネタがベタになるのか 「秋葉原無差別殺傷事件」雑感 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    自らが「彼」になるのではないかという恐怖 「秋葉原無差別殺傷事件」の衝撃が続いている。あの事件の衝撃の大きさはなんといっても犯人があまりに「普通」であるということだろう。このような衝撃的な事件は社会的な不安を引き起こし、人々はその原因を求めようとする。それは非日常的で異常であるほど安心する。「自ら」とは関係がない別の異常な世界の出来事となるからだ。 親の過剰な期待、派遣での厳しい待遇、あるいはイジメ、そしてオタク、彼女ができないなどが上がっているが、どれも「彼」を異常な世界へと排除する決定力に欠ける。 そうすると隣にいる人が「彼」になりえる可能性がある。そして「彼」のような気持ちは「自ら」の中にもある。ただからほんの少しのことで「彼」になるのではないか、ということに恐怖する。誰もが彼が言った愚痴のような疎外を味わったことはあるだろう。その意味でのあまりに身近に感じてしまう。だからこそ怖いの

    なぜ最初はネタがベタになるのか 「秋葉原無差別殺傷事件」雑感 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    solailo
    solailo 2008/06/16
    「ネタがベタになる」
  • オタクであることはなぜ恥ずかしいのか

    なぜ「オタク」は恥ずかしのか 「涼宮ハルヒの憂」がなにげに人気です。ストーリーテーラー役のキョンはいつも被害者で、いつも正常(正しい)です。それは、責任はいつも外部にあるという責任回避的立場です。それでいて、ハルヒに繋がることでセカイの中心にいることができる。これってとても幸せな立場です。 そもそもセカイの中心にいることは難しいことですが、それで重要な位置にいるときには、そこに大きな責任がともなうものです。しかしキョンは責任回避しながらセカイの中心にいられるわけです。それでいてかわいい女性に好かれるのですから、こんな都合の良い、おいしい立ち位置はありません。これがセカイ系の物語の一般的なパターンではないでしょうか。 セカイ系の物語へはまることの「恥ずかしさ」は、このような「責任回避しながらセカイの中心にいる」というとても都合の良い、そして「現実逃避」的であるからです。「オタク系アニメ」は

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