子供の頃から親の高い期待を背負って生きてきた、という人に時々出会うことがある。 その人たちは、今や客観視してそのことを自分で積極的に話せるようになっているから、私がそのことを知るに至るわけなのだが、中にはその名残とも言える見えない期待に未だに縛られていて、それにあがいているように見える人もいる。 子供の頃の影響は大きいものだとあらためて思う。 子供にとって、親の思いは概ね素晴らしく有難いものではあるのだが、この親の思いによって縛られて知らず知らずの内に自分らしさを抑えられることもしばしばあるものだ。 かくいう私も、私も親の期待を背負わされそうになったひとりである。 親にどこからか来た理想があって、その理想に対して常に足りてないことを指摘されて、それを埋め合わせる日々になっていた時期もあった。 いいところは当たり前だから褒めないし、褒められる側もできていることを褒められるとどうもこそばゆい。