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読書と自分に関するsoleil266564のブックマーク (14)

  • ブログは「自分の学びを深めるツール」として、未だに優れていると思う。

    ブログを書くことを習慣にしているからか、時折「なんでブログ続けているんですか?」と聞かれることがある。 「今はまだ自分のことを知らない誰かに、自分のことを少しでも知ってもらえたら嬉しいから」 「歯磨きをするのと同じくらい書かないと気持ち悪いから」 「自分自身の心を直接観察することができるから」 参照:「私は長らく瞑想的なことをしてきているのかもしれない」と思った話。 例えば、理由としてはこんな具合だ。 習慣化には必ず多くの「止めるための理由」との戦いが生じるわけだが、ことブログに関しては今はもうほぼほぼ制圧した感がある。 何でも10年以上も続けるとさすがにこの領域に辿り着くことができるのかもしれない。 そしてつい最近、最初のような質問に続けて以下の質問をもらう経験をした。 「やるための理由が幾つかある中で、最もやるための理由になっているものはなんですか?」 これに対して私は、 「自分の学び

    ブログは「自分の学びを深めるツール」として、未だに優れていると思う。
  • 習慣を続けてくためには「ほんの少しの理由」を大事に磨き続けるための習慣や仕組みが必要。

    を代表するベストセラー作家村上春樹さんは「走る人」としても知られる。 この記事を書いている時点でその年齢は74歳。 33歳で走り始め、40年以上毎年フルのレースに出場するれっきとしたランナーだ。 そんな村上さんの著書「走ることについて語るときに僕の語ること」は、走ることや書くことを続けている今の私にとって心の拠り所の一つになっている。 このがすごいのは至言だと思える言葉があり過ぎるところだ。 例えば、以下の言葉。 同じ十年でも、ぼんやりと生きる十年よりは、しっかりと目的を持って、生き生きと生きる十年の方が当然のことながら遥かに好ましいし、走ることは確実にそれを助けてくれると僕は考えている。 与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。 ここ

    習慣を続けてくためには「ほんの少しの理由」を大事に磨き続けるための習慣や仕組みが必要。
  • 変化が激しい現代では「完璧主義」から距離を置くのがいい。RANGER

    最近、若者の間で完璧主義者が増加しているという話を聞いた。 「完璧主義」というものを3つに分類している動画がある。 ①自己位の完璧主義 →自分の内面から完璧でありたいという欲求がにじみ出る人 ②社会既定の完璧主義 →社会の規定(常識)に対して完璧でないとならないと思う人 ③他者指向の完璧主義 →相手に完璧を求める人 それぞれが増加している中で②社会既定の完璧主義が他の2つより倍増していて、生きづらさが増しているという。 これを聞いて思い出したのは、私の子供の頃に無意識に観察していた大人たちのこと。 みんな一生懸命に社会の常識に照らし合わせて恐る恐る生きているように見えた。 不思議な感覚が蘇ってきた。 なぜそんなにもビクビクしながら生きているのだろうか? 素朴にそう思った。 「決まりが○○だから、○○しなくてはならない。」 「○○しないと笑われる」 などと話していた。 これが、当時の常識に

    変化が激しい現代では「完璧主義」から距離を置くのがいい。RANGER
  • 「感謝で思考は現実になる」は本当なのか?とりあえず、健康のために思考が大切なのだ。RANGER

    数年前の話だ。 隣から男女の話し声が聞こえた。 女性:「感謝すれば願いが叶うのよ。努力しなければならないってのは嘘なのよ。」 男性:「そんな都合のいい話なんてないでしょ。 努力するから何事も上手くなるじゃないか。 努力が報われてここまできたし・・・。」 女性:「その正しいことを知っている、っていう確信が可能性を閉ざすのよ。」 男性:「えっ!?何かの宗教なの?」 私はこの男性にもっともだと思いつつも、女性のその自信にどこか引っかかるものがあった。 この件をなぜ今になって思い出したのだろうか? 「努力しなければならないというのは嘘」 特に聞き捨てならない言葉だ。 私の両親の教えは、努力しなさい、そうしないと足元を救われる、というものだった。 両親もまた努力して私を育ててくれた。 私もそれに習ってきたから何とか生きて来れてると思う。 努力しなかったらこうはなっていなかっただろう。 物事の結果には

    「感謝で思考は現実になる」は本当なのか?とりあえず、健康のために思考が大切なのだ。RANGER
  • 人間の意識進化を辿ってみて、私の新常識が鮮明になっていく!(前編)RANGER

    前回記事の新常識のお勧め、そこで紹介した私の新常識は「未来に禁酒法が設定される」というかなりつたないものだった。 他の新常識の候補があまりにも希望的なユートピアで、私の中のふてくされた子供がそれを拒否してしまった。 確信できないものを中途半端に書くことを許さなかったようで。 あっさりと引いてしまって禁酒法の話に逃げてしまったのだった。 ちょうどこの記事を書き始めた頃だった。 ある人が一冊のを紹介してくれた。 聖なる予言(日の単行の発行1994年) このには、人間の意識進化が9ステップの気づき(Insight)として示されている。 私はこれを読み始めて、この人間の意識進化は、まさに私の言うところの新常識のことを言っている!と直感した。 そしてその最終形が、私が書けなかったユートピア的な新常識とよく似ているではないか! んっ?いや違う、このはもっともっと鮮明に、そして説得力をもって新

    人間の意識進化を辿ってみて、私の新常識が鮮明になっていく!(前編)RANGER
    soleil266564
    soleil266564 2023/02/13
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  • 「繰り返しの行為=精神安定剤」として、これまでの人生経験を捉え直してみた話。「繰り返しの行為=精神安定剤」として、これまでの人生経験を捉え直してみた話。

    一般的にはとても分かりにくいとされる東洋哲学に、とてもお詳しい飲茶さんという方が大変分かりやすい説明を展開してくれている良書だ。 読み終えて実感したことだが、これはたしかに「史上最強の哲学入門」と言っていい。 釈迦の「無我」とか、老子の「無為自然」とか、道元の「只管打坐」とか。 「大事なのは何となく分かるけど、なんだかよく分からない」といった部類の話が当に分かりやすく解説されている。 そして私にとって大きな発見となったのは、比叡山出身の高僧「法然」が普及させた仏教哲学「念仏」についての箇所だった。 以下に引用してみたい。 そもそも念仏とは、ようするに「南無阿弥陀仏」などの同じ言葉を延々と繰り返すだけの簡易的な修行法のことであるが、実はその繰り返し行為は現代でも優れた精神安定剤として知られている。 たとえば、眠れないとき、「羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……」と唱えるとよいという話を聞いたこ

    「繰り返しの行為=精神安定剤」として、これまでの人生経験を捉え直してみた話。「繰り返しの行為=精神安定剤」として、これまでの人生経験を捉え直してみた話。
  • 「相手が大切にしていることを大切にする」が「倫理観」だったことに気づき、そこから得た大きな発見。|RANGER

    これらをふまえながらいささか乱暴かもしれないが、今の自分なりにフィットする言葉にしてみると以下のようになった。 倫理とは、他者と共によく生きるためのことを考えること。 そして、このような思考過程を経た時、「相手が大切にしていることを大切にする」という、私が人間関係において以前から大事している考え方は「倫理観」の一つと言ってもいいのだろう、と考えるようになった。 高校生の頃「倫理の授業はクソつまらない」と思っていた私が、今このタイミングで強い興味関心を持ち始めているこの状況がなんとも不思議で面白い。 諸行無常とはまさにこのことだ。 相手が大切にしていることを大切にするとは一体どういうことか? 随分前に「相手の立場に立って考える」は、「相手の関心に関心を持つ」ことで実践できる、という記事を書いたことがあった。 関連記事:「相手の立場に立って考える」は、「相手の関心に関心を持つ」ことで実践できる

    「相手が大切にしていることを大切にする」が「倫理観」だったことに気づき、そこから得た大きな発見。|RANGER
  • 「感性を高める」ための探索が続く。~思考と感覚のせめぎ合い~|RANGER

    「感性を高める」という言葉は私にとって魅力的な言葉だ。 この言葉には二つの意味があると思う。 一つには、持って生まれた感覚を呼び覚ますこと。(以下先天的感覚と呼ぶ) 一つには、経験を積み重ねることで引き出しを増やして、そことの紐づきによる感覚(感情・判断)を豊かにすること。(以下後天的感覚と呼ぶ) 私は、「感性を高める」ことに今ハマっている、と言ってもいい。 ブログにもいくつか書いてみて、最近では修験道につながったりもしたりもした。 「感覚」を大切にするためには、 まずはその言葉のどおり「感じること」を意味のあることである、と認識することから始まる。 そうした上で、感じる時間をたくさんもつこと。 自分に素直であること。 などと一旦は結論づけたのだが・・・。 すると今度は、別の不安がもたげてきた。 この結論はどうも漠然としてはいまいか? さてはて、号令だけで私は当に感覚を大切にできているの

    「感性を高める」ための探索が続く。~思考と感覚のせめぎ合い~|RANGER
  • 修験道から学ぶDon’t think! Feel.~自分を輝かせる方法~RANGER

    最近、また友人から教えてもらったがある。 『野性の力を取り戻せ 〜羽黒山伏に学ぶ 答えがない「問い」に向き合う智慧〜 そのタイトルに惹かれ、夢中になって読み進めてしまった。 夢中になったのは、内容がここまでのRANGER内の複数の記事と結びつくものであったからで、更には自分の中の曖昧なことが鮮明になったからだった。 こちらは、山伏(「松聖」まつひじり)の星野 文紘さん(以下先達と呼ぶ)が書いたなのだが、私は今まで山伏の方の話を聞いたことがなかったので新鮮でもあった。 山伏:修験道の行者をいい、100日修行をしている山伏を「松聖」まつひじり、という。 修験道:自然に身を置いて祈り、感じたことを考える哲学である。 ※今回は山伏、修験道についてこれ以上の詳細の説明はしておりません。 私にとって特に興味深かったのは、専門分野が異なる方々が、違う言葉で共通のことを伝えているように感じられたことだ

    修験道から学ぶDon’t think! Feel.~自分を輝かせる方法~RANGER
    soleil266564
    soleil266564 2022/12/13
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  • 「他者のために」働きかけることができるのは、「自分のために」が満たされている人だけ。RANGER

    先日、知り合いからこんなエピソードを聞かせてもらった。 一週間くらい降り続いた雨の合間をぬって、家族で「無農薬のブルーベリー狩り」に行ったそうだ。 旦那さんと一緒に1キロパックに収穫していくと、その隣で収穫されたブルーベリーを子供たちはひたすらパクパクとべていく。 パクパクとべはじめてから30分くらい経つと子供たちに大きな変化が。 大人が何も言わずとも、子ども同士で「これ美味しいからどうぞ」をしたり、ブルーベリーを収穫している人を手伝ったりといった行動をしはじめた、というのだ。 幼児教育が専門のその知り合いは「自分が満たされると周りに目が向くんですよね」と言っていた。 育ちの核は「満たされること」だと。 これは言い換えると「まずは自分のためにが大事」ということになるのではないだろうか。 少なくとも私はそう思うに至った。 そして、このエピソードを聞いて、思い返され、頭の中で結びついたこと

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  • 自由で豊かな時代の苦悩に対処する方法を見つけられなかった。それでも何だか楽になった。RANGER

    「トイレの水は用を足した2回に1回しか流しません。」 というケチ?倹約家?の若者の話を聞いた。 ケチと倹約家の境などはあってないようなものだと思うで、自分のことを倹約家だし、ケチだとも思っていたから上には上がいるもんだ、とすこし驚いた。 私の父と妹が同居していたずいぶん前に、大きなケンカをしたと聞いたことがある。 ゴミ出しのタイミングについてのケンカだった。 ゴミはビニール袋に溜めていって、ある程度いっぱいになったところで端をくくってゴミ捨て場に出すものだが、どのくらいいっぱいになったところでくくるか?というところで口論になった。 父は目一杯までゴミを溜めるべきだと主張し、妹は7~8割程度でもいいだろうと主張した。 父はもったいないと言い、妹は臭いから、などと言った。 ケチぶりがにじみ出るような話だが、こんな家庭に育った私のケチぶりを上げてみると、 ・服を捨てられず、部屋着にできるだろう、

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    soleil266564
    soleil266564 2022/06/20
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  • 「私は長らく瞑想的なことをしてきているのかもしれない」と思った話。RANGER

    書く瞑想は、別名「ジャーナリング」とも呼ばれる。 5万人を変えた習慣化のプロによって書かれた書では、「書くこと」で現実を整理して心を整え、「どうしよう」を「こうしよう」に変えていくメソッドとして「書く瞑想」の効果や具体的な実践の仕方が紹介されていた。 筆者によれば、書く瞑想の実践は1日15分の時間の中で下記のとおりに行われる。 まず1日の中で「あなたの感情、気分、エネルギーを下げたものは何か?」という問いに対して思い浮かぶものを網羅的に書き出す。 今度は「あなたの感情、気分、エネルギーを上げたものは何か?」という問いに対して思い浮かぶことを網羅的に書き出す。 これを「手書き」で行う、ということだった。 ブログが誰かに見られることも想定して書くのに対して、書く瞑想はあくまでも目的は自己対話であり、思いついたことをひたすらに書き出していく。 「誰かに見せるものではない」という部分はブログとは

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  • 自分は幸福になりたいのだろうか?幸福になりたいならば幸福とは何かを学んで自分の幸福を決めないとならないのだ。(後編)RANGER

    自分は幸福になりたいのだろうか?幸福になりたいならば幸福とは何かを学んで自分の幸福を決めないとならないのだ。(後編) 前回は、幸福になりたいならば幸福とは何かがハッキリわかった方がいい、という気づきがあった。 そうしていると、「世界幸福度ランキング上位13ヵ国を旅してわかったこと」の著者マイケ・ファン・デン・ボーム氏のこんな言葉が飛び込んできた。 幸福度の高い国の大半は何百年も前から”幸福を求める文化”をもっていたように思える。 その通りだ。 当たり前のようだが、腑に落ちる言葉だ。 幸福を求めずして幸福にはなれない。 そして、求めた幸福が間違っていても幸福にはなれない。 こう言われると、私の人生では幸福とは何かについてしっかりと考えるということがなかった。 幸福について周りの誰かが語るのを聞いたこともなかった。 日では幸福というものについていつから語るようになったのだろうか? さて、幸福

    自分は幸福になりたいのだろうか?幸福になりたいならば幸福とは何かを学んで自分の幸福を決めないとならないのだ。(後編)RANGER
  • 自分は幸福になりたいのだろうか?幸福になりたいならば幸福とは何かを学んで自分の幸福を決めないとならないのだ。(前編)RANGER

    自分は幸福になりたいのだろうか?幸福になりたいならば幸福とは何かを学んで自分の幸福を決めないとならないのだ。(前編) 今でも毎回湧き上がる感覚がある。 仕事がない休みの日だったとしてもそれが平日であったならば、心がどこか落ち着かなくなる。 長かったサラリーマン時代が週休2日だったから、その名残があっても不思議ではないのだが、ここまで根強いものなのだろうか? 昔は有給をとった平日は1日中わずかではあるが罪悪感を抱えていたようにも思う。 その頃から私は周りの人と一緒でなければ安心できない人間になってしまったままなのだろうか? そうならば、周りに依存する自分に何ともガッカリするのだが・・・。 以前にも、よりよい人生を生きるには日々の習慣が大切であって、その中でも瞬間瞬間何を考えるか?ということが特に大切にするべきではないか?と書いたことがある。 もたげてくるこの不安はその思考の一つであるから、余

    自分は幸福になりたいのだろうか?幸福になりたいならば幸福とは何かを学んで自分の幸福を決めないとならないのだ。(前編)RANGER
    soleil266564
    soleil266564 2022/04/18
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