前回の田中新吾さんの記事 「考える」ためのチャンネルを持ちながら、老いていくのが「いい老い方」なのかもしれない。 では、考えながら老いることの大切さ、そして、その前提として「考える」とは何か?を紹介していた。 考えるとは「インプットをアウトプットに換えること」である。 そう言われれば、自分が日頃考えているものの中身はかなりボヤっとしている。 なぜそう言えるかというと、例えば記事に考えていることを書き始めると、足りないところが現れてそれを埋めようとして考えが進み、内容が詳細になり整理される、という経験があるからだ。 アウトプットのない思考だってある、という主張を否定はしないが、アウトプットなしではしっかりとまとまった考えにはなっていない、と共感する。 記事の中にあるミステリー作家の森博嗣氏の本「勉強の価値」からの引用。 老人になると、ほとんど考えないようになる。 迷わないのは、考えていないか
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