国会欠席の懲罰として8日の参議院本会議での陳謝が決まっているNHK党のガーシー参議院議員は7日、訪問先のトルコで取材に応じ、「8日の帰国は時期尚早」として、帰国せず、本会議を欠席することを明らかにした。 海外に滞在し、去年7月の初当選後、一度も登院していないガーシー議員に対して、8日の参議院本会議での陳謝が決まっている。 ガーシー議員は訪問先のトルコでFNNなどの取材に応じた。 この中でガーシー議員は「8日の帰国は時期尚早」として、帰国せず、8日の本会議を欠席することを明らかにした。また議場での陳謝の代わりとして、「陳謝動画」を提出すると述べた。 一方でガーシー議員は「どれだけ遅くとも3月内には日本に戻りたい」とも話した。 本会議の欠席を明らかにしたことで、与野党から厳しい批判が出るのは避けられない情勢で、今後除名も含めたより重い処分が検討される見通し。 トルコで取材に応じるガーシー議員(
2023年のNHK大河ドラマの主人公は徳川家康。統計データ分析家の本川裕さんは「歴史好きの国民に応える形で放映されている大河の関心は高い。国民のテレビ離れを抑止する最後の手段となっている」という――。 47都道府県「地元代表の歴史上の人物」は誰か? 日本人の歴史好きはよく知られている。NHK大河ドラマをはじめとする日本の歴史に題材をしたテレビドラマには多くの関心が集まり、小説の中でも時代小説、あるいは歴史小説の人気は高い。歴史小説だけでなく学術的な歴史本がベストセラーになることもめずらしくない。多くの日本人がお気に入りの歴史上の人物を心に抱いている。 2006年には財団法人日本城郭協会による「日本100名城」の選定をきっかけに「お城ブーム」が起こった。最近は女性の歴史ファンも多くなり、「歴女」なる新語も生まれている。 今回は、こうした日本人の歴史好きを反映したような統計データをいくつか取り
先日、老舗喫茶店を訪れたときのこと。香り高いコーヒーを飲んでいたところ、ふと気になったのが、コーヒーカップの下に置かれている「ソーサー」。 近ごろは、カフェなどでもマグカップや紙カップが使用されていることが多く、そのまま手渡されるかコースターの上に置かれていることがほとんど。ソーサーを目にする機会が減ったこともあり、ふと気になったんですよね 「マスター、このお皿ってどうしてついてるの?」とカウンターに立つマスターに投げかけてみたところ、逆に「このお皿の意味を当てられたらもう1杯ごちそうするよ」と言われてしまい……。必死になって考えてみました。 「そら、スプーンやスティックシュガーを置くためとちゃいますん?」 この渾身の回答に対して、マスターは「う〜ん、今現在“は”な……」とひと言。思わず「今現在“は”ってことは、本来は違うってこと?」と聞き返してしまいました。 すると、マスターは詳しく説明
海外から帰国せず、陳謝するはずの本会議を欠席した、政治家女子48党のガーシー参院議員に対し、参院懲罰委員会は14日、懲罰として最も重い「除名」とする案を全会一致で決定した。「除名」処分は72年ぶり。 【画像で見る】ガーシー議員を”実名”で告訴した男性が取材に応じた。「苦しみは今でも・・・」と心境を語った。 ドバイなどに滞在し、去年7月の初当選以来、国会への欠席を続けているガーシー議員の懲罰内容を決める懲罰委員会が14日開催された。 ガーシー議員への懲罰は当初「議場での陳謝」が科せられていたが、訪問先のトルコから帰国せず、8日の本会議も欠席し、「陳謝」を拒否。再び懲罰委員会に付託されていた。 14日、再び開催された懲罰委員会では、委員から「ガーシー議員の行為はもはや参院議員としての職責を果たす意思がないものと判断せざるを得ない。議論の余地はなく最も重い懲罰は避けられない」「職責を果たそうとし
「東日本大震災のこれを観て生きている方、とても嬉しいです。また死んでしまった人はお墓で聞こえないと思うがww ほんとに悔しいです」 少年が笑いを堪えながら、カメラに向かってこう語りかける。最後は合掌のポーズをとり、動画には「3.11」のテキストが添えられている。 東日本大地震が発生して今年で12年。震災のあった3月11日は日本中が鎮魂の祈りに包まれたが、SNSでは冒頭の動画が物議を醸していた。 もとはInstagramのストーリーに投稿された動画だが、11日深夜にTwitterでインフルエンサーが取り上げると瞬く間に拡散。震災の犠牲者を侮辱する不適切動画だとして批判が殺到し、少年のInstagramアカウントや学校、部活動などを特定する動きが広まった。 炎上騒動を受けて、少年が通う埼玉栄高等学校は12日に公式サイトで「本校生徒による不適切動画掲載に関するお詫び」と題するコメントを発表。謝罪
姉から連絡があり、母さんの体調が悪いこと、癌の可能性もあることを知らされる。母さんは自分の意志でがん検診は受けていなかったから、不安を感じつつも、「姉は大袈裟だからなー」と、大ごとになるとは思っていなかった。 ただ、残念ながら婦人科系の癌だった。コロナ禍ではあったものの、運良く地域の基幹病院に入院することができ、溜まっていた腹水を抜いてもらったり、検査をしたりと、色々と処置をしてもらったらしい。 医者からは一般論として「5年後にはいないだろう」という話をされたが、「医者は短めに言うんだろうな」と、前向きに捉えようとした。仕事の帰り、一つ手前の駅で降りて、歩きながら母さんに電話した。 「そうじゃないかと思ってたから、分かってスッキリしてるよ。子供たちは立派に独立して、みんな家族もいるし、私は思い残すことはないから。」 とサラッと話していた。なんとか気丈に話そうとしたが、涙が出た。帰宅し、妻に
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