島根県は21日、竹島を日本の領土として記した江戸時代後期の地図5点を確認したと発表した。 このうち「蝦夷(えぞ)風俗人情之沙汰付図 全図」と「蝦夷草紙全図」の2点は、幕府の蝦夷地調査隊で測量助手を務めた探検家の最上徳内(とくない)が1790年に作製しており、同県は「竹島が日本領であるとの認識が、幕府をはじめ広く浸透していたことを示す貴重な資料」としている。 ほかの3点は、「日本並(ならび)北方図」と「寛政亜細亜(あじあ)地図」(いずれも1796年)、「華夷(かい)一覧図」(1806年)。同県の竹島問題研究会が各地の博物館などを調査して確認した。 「蝦夷風俗――」と、その下絵の「蝦夷草紙全図」は、隠岐諸島の北西に島名はないものの竹島が描かれ、本土と同じ茶色に塗られている。「蝦夷風俗――」は幕府老中の松平定信に献呈された。「日本並北方図」など2点は二つの島に「松島(現・竹島)」と「竹島(現・韓
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