朱雀ひのでのブログ「朱雀ひので」の、日々徒然に思う事を書き連ねるブログ。世の中に何が起きても、陽(ひ)は毎日昇る。何が起きても陽に向かって前向きにいきたい!と願って… 【これまでのシリーズ記事へのリンク】 【第12代 景行天皇】 推定治世期 西暦266年~295年 (西暦71年~西暦130年:記紀の記載そのままの場合) それまで版図の治世に力を注いできた大和朝廷が、唐突に九州親征に踏み切った謎に潜む、記紀における九州情勢の不記載と、魏志倭人伝での大和朝廷不記載の奇異さ さて私は「大和朝廷と邪馬台国は対立関係にあった」と見ていると、前回記事で言いました。 それについて、唐突に感じた方も、いらっしゃるでしょう。 その辺の説明が舌足らずだったとも感じているので、その辺はお詫びします。 それはそもそも景行天皇が九州親征を行う口実が、「熊襲が貢物を奉らなかった」事が発端なのですが、それまでに熊襲が大
![『大和朝廷の始まりとは25~魏に大和朝廷の存在を隠ぺいしていた邪馬台国と景行天皇を見誤った熊襲』](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/64e13dd5be4d3edc424367c6e7a3fe2d5e1a0264/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fstat.profile.ameba.jp%2Fprofile_images%2F20180310%2F13%2F0c%2FuT%2Fg%2Fo01400140p_1520655677717_nl5ma.gif)