ADHDとASを分ける基準は最近は「利用されることが平気か否か」だと私は考えている。別の言い方をすれば、「ASは過程、ADHDは結果」ということになるだろう。 理不尽なごり押しはジャイアンと愛着の対象に対する受動型ASとのどちらにも見られるが、よくよく見るとかなり違う。ジャイアンから見ると、受動型ASのごり押しは「効果がなくなるまでやり過ぎる」と見える。 ジャイアンから見ると「相手を怒らせるまでやっては目的とする結果が得られないので不合理」と見えるわけだ。子供でも叱られる寸前で引っ込めたりするのはジャイアンで、明らかに不利益になっても変な意地を通すのがASだと大雑把に言える。 ジャイアンには「結果がすべて」であって、手段は極端に言えば何でも良い。 対してASは、「過程自体に意味がある」様に見える。結果として自分の意志は通らなくても、それまでの「押し合い」とか「戯れ」のような愛着の相手とのや