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2008年2月18日のブックマーク (2件)

  • 性犯罪における言説――「自覚」すべきは誰か - 地を這う難破船

    はてなブックマーク - http://www.asahi.com/national/update/0216/SEB200802160003.html ⇒強姦被害から自分を守るために、少しでも意識したいこと。 ⇒これはとても不思議な現象なんだが ⇒性犯罪の被害者がどんなに愚かでもそれに言及するのは許されませんか ⇒http://koerarenaikabe.livedoor.biz/archives/51129051.html ■ 結局のところ。この種の事件が報じられるたびに判で押したかのごとく繰り返される言説がある。延々と。誰も、好きこのんでこのような話題に言及したくはない。被害当事者があることだから。事件が報じられるたびに、毎度のごとく繰り返され回帰する言説がある。すなわち、言説の延々たる回帰には強固な因がある。それを問題と考えるから、こうして執拗に同じことを記すことになる。 事後にお

    性犯罪における言説――「自覚」すべきは誰か - 地を這う難破船
    soulstice
    soulstice 2008/02/18
  • 犯罪抑止・回避の論理と犯罪被害者保護の論理は往々にして矛盾する

    http://anond.hatelabo.jp/20080215043933とかその周辺の反応を見て再認識したのだけど、犯罪抑止・回避の論理と犯罪被害者保護の論理は往々にして矛盾する。前者を推し進めれば犯罪被害者をしばしば責める結果となってしまい、後者に重きを置きすぎると逆に犯罪を減らし被害を避けようとする努力を蔑ろにしてしまう。その困難から目を背けていては前に進めない。 対策としてどうすべきかというのは悩ましい問題。私としては、各自が自分と自分の身近な人間たちを支援することに注力するしかないんじゃないかと思う。前者の意味でも、後者の意味でも。精神と身体のケアを必要とするひとには最大の愛情を。それ以外のひとには邪悪な犯罪から少しでも身を護る術を。まずは、自分にとって一番重要なひとを大切にすることを考えれば良い。局所的に考えれば、それぞれの論理は矛盾しないのだから。 たぶん、普通のひとはこ

    犯罪抑止・回避の論理と犯罪被害者保護の論理は往々にして矛盾する
    soulstice
    soulstice 2008/02/18
    「なぜ人を殺してはいけないのか」という日本語の発音を聞いただけで、なにか現実的な問題提起が行われたと錯覚してしまうのと同じアレ。