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ブックマーク / jmiyaza.hatenablog.com (2)

  • フランシス・フクヤマ「人間の終わり バイオテクノロジーはなぜ危険か」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    ダイヤモンド社 2002年9月 東浩紀氏の「情報環境論集S」(講談社 2007年8月)の「情報自由論」を読んでいたら、そこに書が紹介されていた。 F・フクヤマは例の「歴史の終わり」で悪名をはせた?ひとで、東側が崩壊して西側が勝利したことで、理念について争う「歴史」はもうおわったというようなことを言って、何をバカなことをいっているのだと顰蹙をかったひとである。その後の歴史をみれば、西欧とイスラムの争いだけをみても、そういわれても仕方がないところがある。 フクヤマ氏の書いたものを見ると、氏が一生懸命勉強している秀才であることは明らかで、そういうお勉強ぶりがたとえば浅田彰氏の「「歴史の終わり」を越えて」(中公文庫 1999年)などで揶揄されることになる。その程度しかを読んでなくてものを書くなんて100年早いぜ、とでもいった感じである。それにしても、このころの浅田彰氏とか柄谷行人氏などは当に

    フランシス・フクヤマ「人間の終わり バイオテクノロジーはなぜ危険か」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    soulstice
    soulstice 2009/02/07
  • 上野千鶴子 三浦展「消費社会から格差社会へ 中流団塊と下流ジュニアの未来」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    河出書房新社 2007年4月 書を読んでみる気になったのは、赤木智弘氏の「若者を見殺しにする国」を読んで今ひとつすっきりしない点が残ったためである。赤木氏の議論では、絶対的な貧困と相対的な貧困が充分に区別されていないように思えた。絶対的な貧困とは「飢えて生きていけない」ということであり、相対的な貧困とは「尊厳がなくみじめである」ということである。 赤木氏は「いまでこそフリーターは、私のように親元で生活できている人も多く、生死の問題とまで考えられていないのですが、親が働けなくなったり死んだりすれば、確実に生死の問題となります。それまでの生活水準を維持できないのは当然として、フリーターの給料では自分ひとりですら生きていけるかが怪しく、ホームレスになるか自殺するかの二者択一になる可能性が高いのです。すくなくとも家が資産家でもなんでもない私は、その二択を迫られるでしょう。/ ちなみに私は、どうせ

    上野千鶴子 三浦展「消費社会から格差社会へ 中流団塊と下流ジュニアの未来」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    soulstice
    soulstice 2008/01/01
    こういう本を出すのを見ると、上野千鶴子がますます内田樹に近づいている気がするなあ。しかしこのエントリーの上野批判としてのクオリティーは、後半に色々主張をくっつけたせいで台無しになっているような。
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