「一切(いっさい)は唯(た)だ心の造るものなり」と読まずに、「一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)」と読みます。 盆の季節になると各寺院では、施餓鬼会(せがきえ)――釈尊在世当時、弟子の阿難(あなん)尊者が、「定命尽(じょうみょうつ)き餓鬼道に堕ちるのを免れたくば、餓鬼に十分な食事の施しをせよ」と陀羅尼経(だらにきょう)を唱え供養する修法を釈尊より伝授されたことより始まったといわれる、餓鬼、すなわちむさぼりの心を持つ者への食(じき)の施しをする行事――が修行されます。その折り、大勢の僧が独特の節回しで唱和する経文に、『施餓鬼―甘露門(かんろもん)』というのがあります。その初めに、 若人欲了知(じゃしんにゅーりょうしー) 三世一切仏(さんしーいしんふー) 応観法界性(いんかんはかいしん) 一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)・・・ 若(も)し人、三世一切(さんぜいっさい)の仏を了知(りょうち)