ブックマーク / bunshun.jp (3)

  • 2018年に名監督・小津安二郎の“狂気”がバズった理由 | 文春オンライン

    いま、小津安二郎が流行っている。 小津といえば、名実ともに日を代表する映画監督のひとりである。その独創的な映像表現は世界的にも高く評価されており、代表作の『東京物語』(1953年)は、2012年にイギリスの映画雑誌『Sight & Sound』が企画した世界の名だたる監督たちによる投票で第1位に選出された。 しかし、冒頭で言っているのは、そのような世界的かつ歴史的な小津評価の潮流のことではなく、もっと限定的な流行のことである。

    2018年に名監督・小津安二郎の“狂気”がバズった理由 | 文春オンライン
    spade77
    spade77 2018/11/04
    実に素晴らしい。これから研究書をたくさん書いてほしい。
  • 14年前、誰が「自己責任論」を言い始めたのか? | 文春オンライン

    シリアで武装勢力に拘束されていたジャーナリスト、安田純平さんが解放された。 すると、またしても自己責任論が噴出した。おかえりなさい、安田さん。おかえりなさい、自己責任論。 「自己責任」という言葉が流行語大賞のトップテン入りしたのは2004年である。イラクで拘束された日人3人に対して投げかけられたのだ。 あのとき、誰が「自己責任論」を言い始めたのか? 特筆すべきは(あのときは)小泉純一郎首相や首相周辺、つまり国のトップたちほど「自己責任」を声高に問うていたことだ。あそこから時代が変わったんじゃないか? と思うほど。

    14年前、誰が「自己責任論」を言い始めたのか? | 文春オンライン
    spade77
    spade77 2018/11/02
    イラクの事件は非常に重要だと思う。あれを機会に、今でいうネット右翼という存在が実在していることを初めて知った。それ以前の日本の世論なんてお花畑以外のなにものでもなかった。
  • オウム真理教 なぜ“普通の若者たち”が“無差別大量殺人集団”になったのか | 文春オンライン

    私自身は、教祖の執行は当然のことと受け止めたが、弟子たちに関しては、教祖と同時、もしくは間を置かずに執行したのは残念に思った。 これでは、後継団体が「尊師」が縁の深かった弟子たちと共に旅立ったという物語を仕立て上げ、教祖への忠誠心を強化するのに利用しかねない。 それに、いくつもの凶悪犯罪の首謀者であるばかりか、自身の手は汚さず、自分を信頼して集まってきた弟子を殺人者にした麻原と、その手足となって実行した弟子とでは、責任の重さは天と地ほどにも違う。やはり麻原は1人で先に逝かせるべきだった。 弟子の中には、麻原を盲信した自身を見つめ直し、深い悔悟の中にある者もいた。そうした人たちは、執行を急ぐよりも、このようなカルト事件をくり返さないための、生きた教材、研究素材として活用する道もあったのではないかと思う。 1984年「オウム神仙の会」を立ち上げ 麻原は1984年に、ヨガのサークルとして「オウム

    オウム真理教 なぜ“普通の若者たち”が“無差別大量殺人集団”になったのか | 文春オンライン
    spade77
    spade77 2018/10/28
    当時の流行りだったんだと思う。オカルトチックなものに被れて、なんだかよくわからない優越感に浸りたい時が若い頃にあった。CRASSっていうパンクバンドにハマってた時だ。
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