「選択的夫婦別姓は選択肢が増えるだけ」は論法としては弱すぎる気がする。一夫多妻にしても選択肢が増えるでしょ。結婚年齢引き下げても選択肢増えるよね。重婚も選択肢増えるぞ。近親婚も選択肢が増える。他人の選択肢が増えるだけなんだけど、それらはokなワケ?
また札幌で同性婚についての裁判がどうのとか、サイボウズの社長がやってる選択的夫婦別姓がどうのとか、なんか色々やってるけど、めんどくさいな解散解散〜〜って感じで眺めている。 同性婚の話題って婚姻制度を拡張する話だと思ってるんですけど、そして選択的夫婦別姓の話題もまた婚姻制度を拡張する話だと思って眺めてるんですけど。 そもそも婚姻制度って、要る!?その大部分、要る!? 多様化を是とするなら、解釈まで最小単位にしちゃうのが一番手っ取り早いじゃんと思うんよね。最小単位ってなんだろう? この人と一緒に生きていきたいです。 その程度じゃんと思うんだよねー。その届出を受理してくれよー。だからそれでいいじゃん。相手が同性でも異性でも、そう思ったからそうします、一緒に生きていってお互い助け合いますので、それをしやすい特権下さい、それでいいじゃんか。 なんらかのパートナーであることを届け出られて、それが「あー
かれこれ2年半ほど彼と同棲をしている。お互い30を超えているが特に結婚願望もないので、のんびり生活してきた。しかし問題は部屋が狭いことで、いくらなんでも1部屋で2人でずっとすごすのは仲がいいといっても限界がある気がする。新しい部屋に移ろうと話がまとまった。いろいろ検討した結果、2500万くらいの駅近中古マンションを買うことになった。どちらかの収入だけでもローンは組めるのだが、住宅ローン減税のこともあるから2人で組もうとなった。そうしたら、夫婦でないと2人でローンを組むのは難しいといわれたので、じゃあまあ籍を入れますかとなった。そういうゆるい感じだった。ここまで何も問題なかった。が、籍を入れるにあたっては、当然だが、どちらかの姓に統一しなくてはならない。私は自分の苗字にそれなりに愛着があるが、まあ、世間の慣習にならって、自分が姓を変えて彼に合わせるんだろうとはぼんやり思っていた。でも、いざと
彼女は、カラオケスナックのママさんだった。 店は、私の家から車で7、8分のところにあった。夫は近くに住む中学時代の恩師に連れられて行ったのが、初めらしい。もう4年くらい前の話だ。 しばらくして私も誘われた。カラオケスナックなんてそれまでほとんど縁がなかったけれども、混んでないしママさんがいい人だというので、なんとなくついていった。 6坪ほどの店内に半円形のカウンターとボックス席が二つあり、花瓶にバラの造花が飾ってあり、隅に小さなミラーボールのある、いかにも田舎町の古臭い店だった。 ママさんをAさんとしておく。Aさんは結構大柄な女性で、元バレーボール選手の大林素子にやや似ていた。 夫は既に何度か来ていてすっかり馴染んでおり、Aさんのことを「Aちゃん」とか「おみゃーさん」(名古屋弁)と呼び、長年の友達のようなざっくばらんな口を利いていた。Aさんは私のことについて、夫からいろいろ話を聞いているよ
同性愛が違法のインドでゲイであることを告白し、エイズ(AIDS)患者やアーティストを支援するマンヴェンドラ王子 インドで一番有名なゲイと言えば、マンヴェンドラ(Manvendra Singh Gohil)王子だ。 同性愛が違法のインドにおいて、グジャラート州の王家に生まれながらも、家族に自分がゲイであることを告白したのが2002年。その後、2005年に公にカミングアウトして一大スキャンダルになり、その時、彼の母親は新聞広告で大々的に「私は息子を勘当します」と掲載したそうだ。 2006年には一族から「社会に対して不適な活動をした」との旨で勘当され、王位継承権や称号を失ったのであるが、彼は今では同州で最大のHIV/AIDS団体の議長でもあり、精力的にエイズの末期患者の保護活動をし、芸術を愛する心から自分の宮殿で芸術のための祝祭を毎年開催する、インドの同性愛人権活動の象徴である。 先日彼に、あの
Unknown/いつまでヒマなことしてんだろなあ Unknown/ウゼえ Unknown/なーにがユキマロちゃんだ Unknown/いつまでヒマなことしてんだろなあ Unknown/・・・ Unknown/・・・ 同僚/・・・ Unknown/・・・ Unknown/あー Unknown/オイコラ自転車、死にてえのか?
格差社会の話で、個人の努力を云々する人がいて、 それは個人に責任を押しつける結果にしかならないと思うんだけど、 ただまあ確かに当事者としての貧乏人に何ができるかっていうと、 選挙に行っても明日すぐに楽になるわけでなし、 明るく生きることを考えたり、這いあがろうと努力したりしかなくて、というのはあると思う。 自分の話。 親はブルーカラーの労働者で、まあ極貧とまでは行かないけど、生活は苦しかった。 早く商業高校でも出て自分で稼いで、好きなことにお金を使いたかった。うまいものを食いたかった。 だけど僕の高校進学のことで中学の先生と三者面談をしたときに、先生が親に「普通科へ行かせてやってくれ」と言いだした。 僕も親も、高卒で就職することしか考えてなかったから、それはない、と言う。 でも先生は「こいつは大学に行かせてやって下さい」という。かなりしつこかった。しばらく問答したけど、 最後には「お金は何
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