タグ

ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (5)

  • 死刑になりたい - Arisanのノート

    きのう書いた『パラダイス・ナウ』だが、映画の宣伝サイトに掲載されたインタビューの終わりの部分で、監督のハニ・アブ・アサドは、次のように述べている。 http://www.uplink.co.jp/paradisenow/interview.php 劇中でスーハがサイードに「日ミニマリスト映画みたいな人生よ」と言うシーンがありますが、このミニマリスト映画とは『ユリイカ』(青山真治監督)を思い描いて入れました。また、実はこの映画の画面の構図は、何シーンか『ソナチネ』(北野武監督)から影響されています。知らない世界を体験し、感じることができる、それが映画の魅力ですね。 実際、この映画を見た人の多くは、北野武をはじめとした、現代の日映画作家たちの作品を思い出しただろうと思う。 それは、それを肯定するかどうかは別にして、未来を閉ざされ閉塞した日常に置かれている若者たちの生の力のひとつの発現と

    死刑になりたい - Arisanのノート
    spectre_55
    spectre_55 2008/04/25
    "生を貶められた者たちが、他人の生の否定を欲望する、その水路づけられた構図こそ、この世でもっとも醜悪なものである"…よわいものたちがゆうぐれ~♪
  • 暴力について - Arisanのノート

    ゆうべNHKのクローズアップ現代で、「デートDV」についてとりあげられていた。 DV(ドメスティック・バイオレンス)とか、虐待、セクハラといったテーマについて考える場合、大事なポイントは、「昔から、それらは普通に行われていた」ということではないかと思う。 つまり、最近(「近代」とか「戦後」とか「グローバル化」とか以後)に発生したり急増した現象ではなくて、むしろこれらは昔の方がひどかったはずであり、あまりにも日常的にあったので問題とも思われていなかった。いや、「あまりにも多かったから問題にされなかった」のかどうかはともかく、ともかく今のように問題化される以前から、それらのひどいことは公然と行われてきたのである。 過去の事柄としては、「戦争の暴力」とか殺人などの見えやすい暴力だけが、告発の対象になるけど、DVや虐待やセクハラも、やはり昔から人間は行ってきていて、それらは昔の社会の方がひどかった

    暴力について - Arisanのノート
    spectre_55
    spectre_55 2008/02/27
    …だから俺は「昔はよかった」とか「○○時代に生まれたかった」とか思ったことがない//まだ今でよかった、昔ならもっと酷かったはずだから
  • 力の否認 - Arisanのノート

    たとえば、パレスチナ問題について、また沖縄の基地をめぐる議論において、紛争の当事者たちや、対立する意見を持つ現地の当事者たちのそれぞれについて、「どの人たちにも、それぞれに切実な立場というものがあり・・」といった、一見リベラル的な言及(解説)がなされることがある。 だが、こうした物言い(視点)が意味しているのは、それぞれの当事者に苛酷な状況を強いている現実的な力、つまりイスラエルによる占領を容認している国際社会や、米軍基地の存在と集中を現前させている日米関係というものを、見ないままにしておきたいという、語る側の願望(欲望)なのだ。 つまりそれは、「パレスチナ」や「沖縄」の状況を、「語られる対象」として、つまり自分が生きている現実とは切断されているもののままにしておきたいということであり、自分にとって「関与可能な事柄」ではないと思いたい、ということなのである。 重要なのは、当事者である人々を

    力の否認 - Arisanのノート
    spectre_55
    spectre_55 2008/01/21
    "重要なのは、当事者である人々を「切実な立場」に追いやっている現実的な力を可視化しようとすることであり、それに現実に関与しうる(したがって変容させうる)自分の力を否認しないということだろう"唸らされる
  • 開いた口がふさがらぬ - Arisanのノート

    薬害肝炎訴訟での大阪高裁の「和解骨子案提示」。 和解案そのもののひどい内容については、多く語られてるだろうから、ここでは書かない。 それは別にして、舛添要一 厚労相のこの発言。 http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3731683.html 「我々も真摯に検討する。原告の方々も真摯に検討する。製薬メーカーの方々もきちんと検討する。そういう中で、もっともっと修正案を出すなら出してくださいよと、和解に向かってもっとみんな努力しなさいよということを呼びかけられておりますので、私としては裁判長の呼びかけに応じて、今後さらにですね、何ができるかということを含めて対応して参りたい」 この人は、報道陣から行政の最高責任者としての見解を聞かれてるわけだから、「自分はどう処するか」だけを答えればよい。 「和解に向かってもっとみんな努力しなさいよ」と裁判所が言ってる

    開いた口がふさがらぬ - Arisanのノート
    spectre_55
    spectre_55 2007/12/15
    "被害を与えられた側に向かって、与えた側が努力(譲歩)を強いているのである"…しかしこれ、舛添に限った話でもこの件に限った話でもないと思う。どこでもやられ損
  • 怒りの解放 - Arisanのノート

    やはり『母よ! 殺すな』(横塚晃一著 生活書院)から。 それと障害者の存在を私たち人がどういう風に自覚するかということが問題である。私たちは親睦をやってもいいんだと思っていても、知らないうちに政治的に利用されることがあります。昔は小さなグループを作り、いわゆるなぐさめあっていればよかったかもしれません。しかし、おとなしくしていればいいんだということが政治的に利用されることがあるわけです。(P278) 「私たち幾人かがグループを作って親睦でもいいじゃないか」ということでやっているということが、自分たちでも気がつかない間に「青い芝」とは全く反対の方向に巻き込まれてしまう、ということがあるわけです。私たち「青い芝」は脳性マヒ者としての立場から運動を続けなくちゃならない。しかし、多くの人たちはそうではなくて、何かこう「社会がこうなんだから私たちもそれに合わせる」というような発想になっている。そう

    怒りの解放 - Arisanのノート
    spectre_55
    spectre_55 2007/12/09
    "身体には、怒りや暴力に関わる部分が、たしかにある。そうしたものとしての身体を解放することも、人が自分の人生を大切に生きるためには、必要不可欠なことだろう"
  • 1