物事の因果は「何をしたか」と「結果どうなったか」で成り立つのであって「どれだけ苦しんだか」が入り込む余地はない。しかし実際には、人間は苦しんだことに対する代価を求めがちであり、他者に対しても往々にして苦しみの量を評価してしまう。 仕事に於いて結果ではなくその過程としての努力が重視されたり、宗教上重要な行動として苦行が存在したりするのもすべてその類例と言える。 苦しんだ者が、希望として「これはいつか報われるはず」と思うのは逃避行動として重要である。ストレスから逃れられなければそのうち精神的に破綻してしまうわけで、個の生存として理に適っている。 その意味では、他者の苦痛を評価することは社会構造として必要なのかも知れない。そうでなければ、実際には報われないからだ。 ただ、これは人間関係として処理可能な部分に於いてのみ機能するもので、自然現象相手には効果がない……のだが、その辺りを巧く切り分けるの