ノンフィクション作家の保阪正康氏は、父親がガンに冒されて余命わずかとなったときに、病室で父からその人生の聞き取りを行っている。家族にも内心を明かさず、「医者になれ」と一方的に進路を指示してくる父に反発を覚えていた青春時代を経て、父75歳、息子45歳となって初めて、子は父の心に深い傷を刻みこんだ過酷な体験を知ることになる。それは、関東大震災時の横浜で起きた、ある事件だった。 少し長くなるが、経緯が分かるように引用する[1]。ちなみに、保阪氏の父の家族は結核で次々と亡くなっており、関東大震災当時は、医師として横浜の済生会病院に勤めていた父親と二人きりの生活になっていた。 父は、やはり二月の雪をかぶった山を見つめていた。一人部屋を選んだのは他人とあまり話をしたくないためだろうが、それが逆に私には好都合だった。私は、あの山へ中学生のときはスキーに行った、などと話しかけたが、父は大正十二年九月一日の