2025年8月16日のブックマーク (2件)

  • 万治の石仏 - Wikipedia

    万治の石仏(まんじのせきぶつ)は、長野県諏訪郡下諏訪町東山田字石仏にある、江戸時代前期の1660年(万治3年)に造られた石仏。所有者は下諏訪町で、同町の指定有形文化財に指定されている(1982年(昭和57年)3月26日指定、登録名「万治の石仏(みたらしの石仏)」)[1][2]。砥川を挟み、諏訪大社下社春宮の対岸に位置する。所在地の小地名「石仏」も同石仏に由来する。 1970年代に芸術家の岡太郎が紹介したことで日全国に広く知られるようになった[3]。 「万治の石仏」は、下諏訪商工会議所を権利者とする登録商標でもある[4]。 「万治の石仏」の名の由来である胴体脇の銘「南無阿弥陀仏 万治三年十一月一日 願主 明誉浄光 心誉廣春」[注釈 1] 高さ2.6メートル、幅3.8メートル、奥行き3.7メートルの安山岩(含角閃石普通輝石安山岩)をそのまま胴体とし、その上に高さ約65センチメートルの仏頭を

    万治の石仏 - Wikipedia
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    squeuei 2025/08/16
  • いま改めて問う、美術は戦争をどう描いてきたか──「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」(東京国立近代美術館)

    「美術が戦争をどのように伝えてきたかを検証する」ことは「戦争記録画」を保管する美術館として継続的に取り組んできたこと──。そう任ずる東京国立近代美術館で、「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」展が開かれている。 「昭和100年」かつ「戦後80年」という節目の年に、先の戦前・戦中・戦後の記憶を、美術作品から読み解こうという試みである。同館は、終戦直後に米軍に接収されるも1970年「無期限貸与」のかたちで「返還」された、153点の戦争記録画を収蔵している。それらコレクションやアーカイブ資料を中心に、作品総数280点というボリュームたっぷりの展示が構成された。会場全体を概観したのち、展を企画した同館の意図と意義を考えてみよう。

    いま改めて問う、美術は戦争をどう描いてきたか──「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」(東京国立近代美術館)
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    squeuei 2025/08/16