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2019年10月11日のブックマーク (3件)

  • interview with Cosey Fanni Tutti | ele-king

    彼らが、『異邦人』において母の死にさえも“感じる”ことのできないムルソーの内面に関心を寄せたかどうかはわからない。が、『ハドソン川の奇跡』で乗客を救う勇敢な機長でないことはたしかだろうし、既存の秩序に従って生きることを拒んだこともたしかだ。 サイモン・レイノルズが指摘しているように、ノイズ/インダストリアルの始祖は、60年代のサイケデリック出身者だった。若い頃のジェネシス・P・オリッジは絵に描いたようなフラワー・チルドレンだ。で、だから、それがどこをどうしてどうすると、70年代半ばには、残忍なノイズにまみれながら妊婦の腹を切り裂き赤子の頭を掴み出すような、つまりハンパなく胸くそ悪い曲をやることになるのか。ロンドンのど真ん中の美術館で、ヌード写真と使用済みのタンポンの展覧会をやることになるのか……。 マトモスのドリュー・ダニエルが言う通りかもしれない。いわく「近年では現実のほうがTGである。

    interview with Cosey Fanni Tutti | ele-king
  • Throbbing Gristle | ele-king

    スロッビン・グリッスルの音楽はどこから来ているのか。メンバーのジェネシス・P–オーリッジ(以下、GPO)は1969年からCOUMトランスミッションズというアート集団で活動を開始し、70年代前半にはコージー・ファニ・トゥッティ(以下、CFT)もこれに加わっている。フルクサスの流れを引くハプニング・アートの系統だというから、彼らが表現の一環として音(楽)を取り入れたのは自然な流れだったのだろう。そして、彼らがメインとしていた身体的パフォーマンスから全面的に音楽を演奏する方向に注力し始める要因は2つあったと思う。70年代中期から胎動をはじめたパンク・ロックの気運と、音楽的なまとめ役としてタイミングよくクリス・カーターと出会ったことである。GPOはかなりパンク・ロックに入れ込んだようで、オルタナティヴTVによる初期のライヴ盤『Live At The Rat Club '77』は彼がカセットで録音し

    Throbbing Gristle | ele-king
  • 日本語ラップとホモフォビア、そしてゲイ、エイズ、性癖について〈西新宿パンティーズ〉が語る!!

    インタビュー後、「ひとつ被ってみてはいかがですか?」と勧められ、パンティーを被りながら新宿二丁目を闊歩した。ギャル、サラリーマン、カップル、ガイコクジン、ケーサツ、ヘンタイ…。快楽を巡り集まるひとびとがつくる、この街特有の空気だろうか。不思議と街に溶け込み、リラックスした感覚を得られ、心地よささえ感じた。 はじめまして。なぜ、みなさんはパンティーを被るのでしょうか? MCくんに君(以下、くんに君):逆に聞きますが、パンティーを被りたいと思いませんか? 単純に被りたいです。ただ、自分がパンティーを被っているところを女性が見たら、〈変態〉だと思われたりちょっとマズイだろうなと、その行為に対して抵抗があります。 くんに君:僕はパンティーが大好きなので、抵抗など一切ありません。もともとは、大好きなヒップホップクルーのMSCが覆面を被って活動していたのに着想を得て、パンティーを被ったらカッコイイんじ

    日本語ラップとホモフォビア、そしてゲイ、エイズ、性癖について〈西新宿パンティーズ〉が語る!!