インターポールを通じて125カ国に国際特別手配された、最初の〈ザ・ヤクザ〉。小野忠雄が語るゴロマキ人生。 ゴロマキの始まり 小野が持っていた「週刊宝石」(昭和57年9月18日号)の記事。 刑事を引き連れて、ゴルゴ13が帰ってきた――ように見えるが、彼は小野忠雄という。 年齢不詳の殺し屋ではなく、36歳のヤクザ。 国際刑事警察機構(インターポール)を通じて125カ国に国際特別手配された、最初の〈ザ・ヤクザ〉である。約3年半にわたって海外逃亡を続けた後、1982年8月31日にマニラに姿を現し、成田空港へ戻ってきた。 「サングラスは自分で買ったんだ。スーツは、『報道特集』の野郎がマニラまで持ってきた」 TBSとは奇縁があった。 日本の敗戦からほどない1945年の12月、赤坂のTBS社屋の向かいで、小野は生まれた。一ツ木通りの判子屋だ。焼け野原の東京では食えないので、母の寿美江と祖父母は、赤ん坊の
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