取材・文◎吉岡洋美 協力◎地引雄一 いつも、何かがそこで起きている バンド結成から約1年数ヶ月の1980年、新たな年代の幕開けとともにライブハウスデビューした水玉消防団。 東京のパンク、ニューウェイヴシーンの勃興期、この初ライブハウスで、音楽センス、個性、存在感ともに共感できるフィーメイル・パンク・バンドたちと出会い、「そもそもバンドはミーハーで始めた」(カムラ)彼女たちが、「他のバンドと何が違うかというと、その目的のなさ」(天鼓)というパワーのまま、結果的にJORAを超えて東京パンクシーンの扉を開けることになった。共演した女性パンクバンドたちとは、ライブ企画を重ねる度にネットワークも広がってくる。 カムラ「個人的にもライブ情報をゼルダのチホちゃんたちとシェアするようになって、当時、とにかく東京ではパンク、ニューウェイヴのシーンがヴィヴィッドに日々動いていた時期。“ライブ”というより“出来
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